共和人民党(CHP)のデニズ・バイカル党首は、コーカサス協会の主催した夕べの集いで、アブハジアから来たコーカサスの一団の芸を鑑賞した。
父方がチェルケス人であるバイカル党首は、コーカサスからの移民が上陸した現在のコジャエリ県ケフケン地区が、移住記念の地として整備され、トラブゾンからソフムまでの交通の便が整備されることを希望した。交通の問題を解消するために、アフメト・ダヴトオール外相にこの問題を伝えたとするバイカル党首は、「コーカサスに対する禁輸措置はもはや終わらせられるべきである」と述べた。
アブハズ文化協会がアフメト・タネル・クシュラル・ホールで一昨日の夜に開催した催しに参加したバイカル党首は、その演説の中で、「93年戦役」として知られる1877年露土戦争で、コーカサスに住んでいてその土地の本来の所有者の大部分がその地から移住させられた、そのことが大きな悲劇をもたらしたのだと述べた。
またバイカル党首は次のように演説を続けた。「何百人もの人が命を失った。1000人以上の人々が眠るチェルケス墓地がかの地にあるのだ。これほどの年月が過ぎてしまい、この悲劇で命を失った人々、故郷やルーツ、土地そして祖国を手放さなければならなくなった人々に対して、払われる最大の敬意は、この悲しみを経験した人々の記憶を忘れないこと、そして忘れさせないことである。もちろん、これらの人々が経験した苦しみから憎しみが取り除かれることはない。しかし彼らは、経験した苦しみが忘れ去られることにも黙ってはいない」
東南部での関心は共和人民党を喜ばせた
東部および東南部の共和人民党選出議員らは、バイカル党首が選挙運動以外で1年ぶりに東南部へ来たことで、この地方にとても良い影響を及ぼしていること、時期的に遅れたとしても遊説が行われることはとても重要であることを述べた。党幹部もこの地方に出向く頻度を多くすることを決定した。
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( 翻訳者:猪股玲香 )
( 記事ID:16577 )