オズペテク監督、100%イタリア人
2009年06月14日付 Hurriyet 紙

世界的に有名なトルコ人監督フェルザン・オズペテク氏は、イタリアの月刊男性誌フォックスウオモの6月号に掲載されたインタヴュー「私は100%イタリア人だ」と言った。「全員が私のことを気に入ることはないかもしれないが、この方が良い」と題し、3ページが割かれたインタヴュー記事では、「50歳を祝ったトルコ出身の監督は100%イタリア人だ。年をとることも批評されることも恐れない」と評される一方で、オズペテク監督の「私にとっては観客だけが重要だ」という言葉が強調された。

8月にイタリアのプーリア州で始まる新しい映画「Mine Vaganti」(放浪者)の撮影の前の晩、フェルザン・オズペテク監督は、これまで過ごしてきた半世紀の総括を行ったインタヴューにおいて、年をとることを恐れていないと強調しながら次のように述べた。「素晴らしい年齢であると信じている。年をとることは怖くない。何かを追いかけるということもない、人生において絶好の時である年齢を生きている。前もってまいた種の実りを得る時期なのだ。
自身を自分よりも若い人達と比べることはせず、身体と心を健康な状態に保っているし、若い人たちより劣るものはひとつもない。しわも怖くないし、実際にしわはない」

地震の直後に破壊された何百軒もの家と生活を映画に収めるためにアブルッツォへと急いだ監督の一人であるオズペテク氏は、同(被災)地域で名状しがたい状況を目撃したとし、自身の感情を次のような言葉で表現している。「大きな絶望や苦しみを見ることになると思っていたが、そんなことはなかった。未だ(地震の)渦中にあり、私が追った人々はそんなに悲しそうに見えなかった。苦しみににもかかわらず、私は彼らへの尊敬からこみ上げる涙をまばたきをしてこらえた。もし彼らが互いの心を折らないために泣かなかったのだとしたら、私も泣くべきではなかったのだ。イースターの前の金曜日に、葬式で見たシナリオは非現実的であった。窓から逃げるために丸めて垂らされたシーツ、土砂の下のテーブル、ペチャンコになったバイク、梁から飛び出したドア、散らばった絵や写真、全てが壊れていた」

オズペテク、100%イタリア人
対談での「興味深いことに現在最も重要なイタリアの監督はトルコ出身である」というコメントに対する有名な監督の答えは、トルコの人々を些か悲しませるものとなった。オズペテク監督は、「私はイタリア人であり、国籍もある。さらに私の作風もイタリア式であり、私は完全に、深いところまで地中海文化を体得している。もちろん、私を成長させ、啓発した多様な文化と宗教とともに私は成長した。このおかげで他者とは恐れるべき敵ではなく、歓迎されるべき友であることを経験した。なぜなら30年前イタリアが私に対してこのようにふるまったからだ」と話した。

さらにオズペテク監督は今後の人生の展望を、「私の国イタリアで行っている仕事、つまり映画を続けることだ。男性、女性、家族に関する我々の物語を伝えることだ」と語る一方で、「トルコが恋しくなることはないのですか?」という質問には「場所よりも、ある時期やある瞬間が恋しくなる。例えば80年代の初頭が恋しくなる」と答えた。

新作「Mine Vaganti」(放浪者)について

8月にプーリア地方にあるサレントで撮影が始まる新作コメディー映画「Mine Vaganti」(放浪者)の話はとある伝統的な家族を基にしていると説明したオズペテク監督は、「しかしこの映画を単に伝統的な家族映画の枠組みで評価することには無理がある。もちろんストーリーは伝統的な家族の話、プーリアでパスタを作っている父と母、2人の弟と1人の妹、祖母と(母方の)おば達からなる大家族の話である。私の深く愛するパスタの文化が、ストーリーと登場人物たちを物語ることになる。サレントを選んだ理由は、ローマとイスタンブルの後に自分の家だと感じた唯一の場所だからである」と語った。

何人かの評論家が、新しい映画は「平凡な感情的映画」になるだろうという旨のコメントをしたことについては、「たくさんのことを言われれば言われるほど私は嬉しい。私の監督としての極致は、自分の感情を観客へ伝えることである。全員が私のことを気に入ることはないかもしれないが、この方が良い」と話した。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:猪股怜香 )
( 記事ID:16693 )