2年間に渡るフラント・ディンク氏の殺害訴訟は、国民やその遺族の弁護団を納得させるものではなかった。事件に関与した41人の公職者のうちたった7人の軍警察(ジャンダルマ)の関係者に対する尋問しか許可されず、警察官については尋問対象外とされた。
フラント・ディンク氏の殺害訴訟がはじまり、2年がたった。しかし9回の審議の間に、国民を納得させる進捗はもたらされなかった。
ディンク氏が2007年1月19日に殺害された件で、同年7月2日に行われた初回の審議で19人だった被告人の数は、第8回審議で20人に増えた。実行犯であるオギュン・サマストは、年齢が18歳未満であったため第5回目まで審議は報道陣に非公開であった。その間、拘留中の被告人の数は12人から5人に減った。
ディンク氏が殺害されるとの諜報機関からの報告を所持したにもかかわらず、なすべき対応をとらなかった警察や軍警察の関係者については、主訴訟の対象に含まれなかった。「検察に対する証拠の隠匿」「証拠隠滅」「容疑者幇助」といった容疑のため調査された41人の公職者のうち、軍警察幹部についての調査しか許可されなかった。警察官については誰についても尋問の許可が与えられなかった。
職務怠慢を問われているトラブゾン県軍警察軍警察司令部のアリ・オズ大佐とメティン・ユルドゥズ大尉を含む7人の軍警察関係者が「職務怠慢」の罪で裁かれることに関する案件は、強く求められたにもかかわらず、主訴訟には含められなかった。
ディンク氏の遺族弁護団は、告訴が見送られた案件のうち4件を欧州人権裁判所(AİHM)に提訴した。
相当数の証拠が無いものとされ、隠蔽され、記録されず、あるいはいったんは記録されたものの後に消去されたといわれている当該訴訟の第10回審議が今日(6日)行われる予定だ。これまでの9回の審議の進捗状況の要点は以下の通り。
2007年7月2日
初回の審議は、ディンク氏が殺害されてから5ヶ月後に行われた。実行犯のオギュン・サマスト、殺人教唆容疑のヤスィン・ハヤルとエルハン・トゥンジェルをはじめ、逮捕された12人を含む19人が出廷した。イルファン・オズカン、オスマン・アルタイ、サリフ・ハジサリホールが釈放されて拘置者は8人に減った。
2007年10月1日
オギュン・サマストは犯行当時18歳未満であったことから、第2回審議が報道陣に非公開で行われた。裁判所は、警察のスパイだったエルハン・トゥンジェルとムヒッティン・ゼニット警部の電話での会話を公表したメディアを告訴することを決定した。ゼニット警部を告訴せよとの担当の弁護団の希望は拒否された。
2008年2月11日
「親分」として知られるスパイのエルハン・トゥンジェルは、第3回審議で書面で証言を行った。オギュン・サマスト同様、担当弁護団の反対尋問の要求は受け入れられなかった。警察のスパイだったトゥンジェルは、諜報担当局のムヒッティン・ゼニット警部とエンギン・ユルマズの名前を挙げた。さらに「メンドゥフ」という名の諜報員について説明した。
「諜報要員」として警察のために働いていたとされるトゥンジェルは国家諜報機構(MİT)の諜報員として働くよう要請された際、莫大な報酬を望んだため関係が壊れたとされる。裁判所は、トゥンジェルの電話記録が抹消されたことを説明した。トゥンジェルの46通話と、ヤスィン・ハヤルの17通話の盗聴記録が証拠として採用されたが、6187の通話の記録については消去されたと述べた。
2008年2月25日
エルハン・トゥンジェルは、殺人教唆者であると非難したヤスィン・ハヤル、ムスタファ・オズチュルクとエルスィン・ヨルジュの3人への反対尋問で、彼らがトゥンジェルについて証言することを妨害した。質問に答えなかったばかりか、この被告人らに向けられた質問に対して「黙れ」という指示を送っているように、担当弁護団の目に映った。
エルカン・チャナック裁判長はハヤルに、エルゲネコン訴訟の被告人ヴェリ・キュチュク准将を見知っているかどうか尋ねた。ハヤルは、個人的には知らないと述べた。
2008年4月28日
第5回審議で、裁判所が求めたムスタファ・オズチュルク被告人の通話記録が「法的期間が満了した」ため消去されたと明かされた。ヤスィン・ハヤルに今回、エルゲネコン訴訟の被告人であるヴェリ・キュチュクと、大法曹連合のメンバーであるレヴェント・テミズ弁護士が、2004年に刑務所へハヤル自身を訪問しに来たかどうかが尋ねられた。
ハヤルは、このような訪問はなかったと述べた。担当弁護団は、この件が刑務所記録から調査されることを要請した。
裁判所が求めたトゥンジェルの記録の件では、法廷に文書が届いていないことが明かされた。
2008年7月7日
1年間に及んだ裁判の第6回審議でオギュン・サマストが18歳に達したため、公開審議が可能となった。裁判所は、トラブゾン警察署のエンギン・ディンチとエルジャン・デミルが証人として証言台にたつよう、依頼書が作成されることが決定した。
2008年10月14日
警察情報局のラマザン・アクユレク局長が裁判所に送った、エルハン・トゥンジェルについての90ページに及ぶ報告書のうち16ページしか裁判所に提出されなかったことが明らかになった。ディンク氏の遺族弁護団は、報告書のうち74ページが「国家機密」とされたと主張したのに対し、裁判所は、非公開のページには、事件に無関係の人々についての情報が存在したと説明した。担当弁護団は、機密箇所を含むこの文書が下級の裁判官によって調べられ、うち16ページが訴訟にとって重要であるという観点で資料に加えられたものの、この16ページ分は本来訴訟と何ら関係無い箇所であると主張した。
2009年1月26日
ヤスィン・ハヤルとエルハン・トゥンジェルが互いを攻撃しあった。トゥンジャイ・ウズンダル、ムスタファ・オズチュルクとゼイネル・アビディン・ヤヴズは在宅起訴となり釈放された。拘留中の被告の数は5人に減った。
トゥンジェルは、「トルコは今こそ諜報活動が何であるかを学ぶがよい。情報を得て焼き払う。ムヒッティン・ゼニット警部は私に、『君を見捨てない』と約束した。さらに『君は捨てられるようなものかい?者』と言った」と証言した。機密警察に2年間感覚を麻痺させられていたと主張するトゥンジェルは、「今となっては同じ条件下で、このような事件(ディンク殺害)を知らせることはなかっただろう」と述べた。
前回の審議で被告人として尋問されたヤスィン・ハヤルの兄であるオスマン・ハヤルが訴訟に被告人として加えられた。被告人の数は20に増えた。
2009年4月20日
イスタンブル警察のジェラフ元署長を証人とする要請が却下された。裁判所は、アクユレク警察情報局長が提出した報告書のうち16ページが機密であることから、弁護団の閲覧は許可するものの、裁判資料には含ませないことを決定した。
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( 翻訳者:下中菜都子 )
( 記事ID:16885 )