コンヤ・アンカラ間1.5時間に―新高速鉄道、レール敷設式典
2009年07月17日付 Zaman 紙
レジェプ・タイイプ・エルドアン首相は、コンヤ・アンカラ新高速鉄道の最初のレール敷設式典で、レールに初の溶接を行った。エルドアン首相は、ここで行った演説で、「信じることは不可能を可能にする」とのべた。
レジェプ・タイイプ・エルドアン首相は、コンヤ・アンカラ高速鉄道の最初のレール敷設式典で、レールに初の溶接を行った。11時45分に空路でコンヤへ来たエルドアン首相に、ニメト・チュブクチュ国民教育相、ビナリ・ユルドゥルム運輸相、オメル・ディンチェル労働社会保障相、ジェヴデト・ユルマズ国務大臣が同行した。空港に到着した首相用のバスを、捜査犬が爆弾探査した。バスのエンジン部分に書かれた「神のご加護をMaşallah」という文字が注意を引いた。
首相府所属のバスで、プナルバシュ村に行ったエルドアン首相は、そこで、コンヤ高速鉄道の初溶接のために開かれた式典に参加した。エルドアン首相は、彼の前に行われた演説を聴いているとき、ボディガードから櫛を受け取り、髪を整えた。全身真っ白な服を着たニメト・チュブクチュ大臣は、手にした目録をうちわ代わりにつかって、涼もうとするのが見られた。チュブクチュ大臣は、ボディガードからウェット・ティッシュを受け取り、鼻を拭いた。エルドアン首相のボディガードらは、中国製のおもちゃを子どもたちに配った。エルドアン首相の前に演壇に立ったビナリ・ユルドゥルム運輸相の演説が長引くと、エルドアン首相は、空席の椅子一つ隔てて座っていたニチュブクチュ大臣を傍に呼んだ。エルドアン首相が、チュブクチュ大臣に演説が長いと言うと、チュブクチュ大臣は演壇に向かい、手でバスケットボールの試合で使われるタイムのサインをした。首相に向かい、「サインしました」と言ったチュブクチュ大臣を見たユルドゥルム大臣は、演説をすぐに切り上げた。
■「トルコに初めてのことを体験させた」
続いて演壇に上がったエルドアン首相は、次のように述べた:
「以前は、空路を利用することは万人向けのことではありませんでした。つまり、空路の利用は、万人が享受することではなかったのです。一定のエリートが利用する手段でした。鉄道も皆が使うことはできなかった。今では、空路は、最早、一定のエリートグループのものではなく、我が国の大部分が使うことができるものになりました。我々が高速鉄道を開通させたら、皆さんは目にするでしょう、国民の大部分が高速鉄道で旅行するのを目にするでしょう。我々はすべての問題を逆転させるような興奮をわが国にもたらそうとしています。
我々は交通問題に新しい理解とビジョンでもって取り組むと申し上げました。ありがたいことに、我々は7年で非常に多くのプロジェクトを実行に移しました。信じることで、道の半分は進みます。我々は信じました。信じることは誠に確固としたもので、不可能を可能にすらするのです。トルコは信じました。我々はトルコの潜在能力を、生産力を、人間を信じ、信頼しました。ありがたいことに、我々はトルコにこれまでなかったことを体験させました、そして体験させ続けます。一つの都市の発展は、別のもう一つの都市の発展の契機となるでしょう。」
■「コンヤ往復3時間半」
自分たちの政権以前には、40年間、全く鉄道が建設されなかったと述べたエルドアン首相は、次のように語った:
「我々は任務につき、テキルダー・ムラトル線により、テキルダーに鉄道をひきました。新幹線YHTのお陰で、アンカラとエスキシェヒルの名が、新幹線の通る町として北京、東京、ローマ、マドリット、リスボンと並んで挙げられています。こうした状況になるでしょう。エスキシェヒルは新幹線により、これらの都市と競争することになるでしょう。コンヤ・アンカラ線が完成した暁には、コンヤもその名を響かせ、新幹線の通る、わずかな数の都市の間に加えられるでしょう。私は「コンヤ往復6時間」という言葉が過去のものになる、と言いました。今、我々は新しい歴史を刻んでいます。「コンヤ往復が3時間半になる」と約束します。1時間15分の往路、1時間15分の復路です。あわせて2時間半。今後は、「鉄道は遅れる」ものではなく、「高速鉄道は間に合う」ものだと言えるでしょう。」
■2車線道路
エルドアン首相は、死亡交通事故発生率が、その政権期に80パーセントの割合で減少したと説明し、「コンヤだけを見ても、79年間に建設された2車線道路はわずか159キロメートルでした。我々が6年間で建設した2車線道路は、435キロメートルです。159キロメートルと435キロメートル。歴史はこの数字を喜びをこめて振り返ることでしょう」と述べた。
エルドアン首相と随行者らは、その後、メヴラーナ博物館へ行った。新聞記者が同行を許可されなかった博物館訪問の後、エルドアン首相は、博物館のすぐ傍にあるセリミイェ・モスクへ行き、金曜礼拝を行った。
この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る
( 翻訳者:林奈緒子 )
( 記事ID:16970 )