■戦争話とその実情
2009年07月31日付アル・ハヤート紙(イギリス)HPコラム面
【ワリード・シュケイル】
過去三週間、戦争の噂に事欠かなかったと思えば、それらは急速に消えていった。イスラエルがイランに戦争を仕掛けるという話が出たかと思えば、イスラエルがレバノン特にヒズブッラーと戦争をするという話になったりした。
実際には戦争の話は、それらが決して起きないということを意味する。政治声明を通じて戦争に突入することはないからだ。戦争を引き起こす可能性のある関係グループらの声明発出には様々な事情がある。場合によっては、戦争の可能性がデフォルメされ、世間の目には唐突な危機と映ることもあるだろうし、戦争からは程遠い目的をもった政治的動きを隠ぺいするために、そのような声明が用いられることもある。つまり戦争の話とは、多くの場合政治交渉の一手段であり、一時的であれ譲歩や調整が行われている兆しの一つであるともいえる。必ずしも戦火、流血、破壊をあおるものとは限らない。
そのようにデフォルメされているからといって戦争の可能性がないわけではないが、少し洞察を鋭くしてみると物事のしかるべき配置が分かる。イランが核爆弾保有に近づいたからといって、合衆国がイランに戦争を仕掛けるつもりがなく、またその力もないことは明白である。ワシントンはテヘランに対し次々と期限延長措置を与えてきた。濃縮ウランを差し押さえる代わりにあれこれの代償を用意して交渉を提案する欧州の動きに歩調を合わせているようだ。期限が切れたからといって戦争が起きるわけではない。それは、続いて起るだろう交渉をよりよいものにしようとの圧力の第一段階といえる。ワシントンは優先順位を軍事面においている。イラク情勢の改善である。安全撤退が保証され、かつ空白をイランに埋められることのないよう、アラブのプレゼンスをサポートしなくてはならない。
アメリカのゴーサインなしでイスラエルがイランに対する戦争を起こすことはないというのは察知できる。ネタニヤフ政府が戦争をあおるのは別の理由がある。少なくともそれは、和平プロセスを進めろ、入植その他の一方的措置を停止せよというアメリカの圧力をかわすためであると言える。パレスチナ・イスラエル闘争が公然と続くより、イランの脅威の方が恐ろしいと言いたいのだろう。そして、ネタニヤフはイランに対する戦争という話を誇大広告することにより、分裂の危機に陥りそうなイスラエル国内(リーバーマン・スキャンダル、労働党との連立等により)を抑えられる。
イランの側は、イスラエルの核施設を攻撃するとの脅しの声を大きくすることにより、深刻に揺らぎ始めた国内情勢に対応しようとしている。国外の危機を国内での抑圧の口実とする。
「代替戦争」つまり、ヒズブッラーをたたくためにイスラエルがレバノンを攻撃するという話だが、ヒズブッラーがイランの最強のカードの一枚であることを考えれば信憑性はある。しかしそれほど警戒の必要はない。イスラエルが実質的ダメージを被らずに目標を達することは困難である。レバノンとヒズブッラーは2006年時より多大な被害をこうむるだろう。しかしそれはイスラエルも同じである。また話が戻るが、イスラエルにはアメリカのゴーサインなしでこの種の戦争を始めることはできない。米新政権が和解の時代を告げ、シリア、イランに対しては新たな交渉に向け動こうとしている時に、ワシントンがそのような冒険に同意するだろうか。オバマ政権が、「安定保持」をかかげるレバノンの政策から、少なくとも近々手を引くとは思われない。レバノン政府は、国内の安定を脅かすことなくアラブ・イスラエル闘争に平和的解決をもたらすべく域内勢力と協調しようとしている。
一方、レバノン人が戦争の話をするとなるとまた別で、その際の事情は、その国の小ささに見合ったつつましいものである。ナスラッラー・ヒズブッラー書記長は、聴衆にイスラエルの脅威を知らしめる手段としてテルアビブとベイルート南郊外(ヒズブッラーの拠点)を対置させる。リタニー川以南に武器を蓄えていたのが武器庫の爆発で露見してしまった、あるいは国連軍と衝突するという過ちを犯した。そして国内的には次段階を苦しくする譲歩をせざるをえなかった。ヒズブッラーのそれらの失策から世間の目をそらすためである。組閣を任されたサアド・ハリーリーはイスラエルの対レバノン動向に警告を発している。進歩社会党党首ワリード・ジュンブラートの、イスラエルが攻めてくるというお告げはもうおなじみだ。これは、この二人の政治家がダマスカスに敵対してあれこれしてみた後、今度は、そのダマスカスに非常な好意を寄せることになった、ということを世間に受け入れてもらうための方策に過ぎない。
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( 翻訳者:十倉桐子 )
( 記事ID:17074 )