エルドアン首相、クルド問題解決への決意を語る
2009年08月11日付 Zaman 紙

タイイプ・エルドアン首相は政府の(クルド問題に関する)「民主的解決策」の実現への決意を明確に語った。トルコに住む全ての民族集団の共通の文化やシンボルに言及した首相は、「政治的にどんな結果を生もうとも、我々はこの問題を解決するつもりだ」と述べた。エルドアン首相のマニフェストに似た演説の次のような表現は、一部の国会議員の涙を誘った。

「独立行進曲(İstiklal Marşı)を耳にするとき、我々の胸が高鳴らないことがあろうか。「イェメンの唄Yemen Türküsü」(注1)を耳にして、我々の目に涙があふれぬことがあろうか。フズーリー(注2)の詩が魂に語りかけるように、アフメディ・ハーニー(注3)の詩もまた同様に我々を感動させないことがあろうか。ネシェト・エルタシュ(注4)が「魂の山Gönül Dağ」を歌えば、我々を身震いさせ、シヴァン・ペルヴェルが「アレッポHalepçe」「ハザルHazal」と歌うとき、私たちの心の深遠に突き刺さる。何の権利があって、我々を敵対させるのか。」

エルドアン首相は、公正発展党の党会合で演説し、(民族主義者行動党のバフチェリ党首の発言を批判して)誰にも人の愛国心を測る権利はないと強調した。この試みが国民の連帯や結束のためのプロジェクトであると強調したエルドアン首相は、野党に対し「この問題で話しあわず、解決を求めないで、いったいいつそれが必要になるというのか。この共存のためのプロジェクトへ参加の道を塞いではいけない。さあ、一緒にこの取り組みを形にしていこう」と呼びかけた。

この取り組みを「民主的解決のためのプロジェクト」と名づけたエルドアン首相は、その目的が何年にも渡って続いてきた問題に永続的な解決をもたらすことだと強調した。

トルコがこの25年間、そのエネルギー、予算、平和をテロの犠牲にしてきたというエルドアン首相は、すべての人に自らを省みるよう促した。エルドアン首相は「どこで過ちを犯したのか。同胞がバラバラになることを誰がどのように願って活動し、争いの元を蒔いたのか」と述べた上で、「(黒海地方の)ホロンの踊り、(西アナトリアの)ゼイベクの踊り、(南東アナトリアの)ズルグトの踊りは全て我々のものだ。我々をバラバラにする権利がだれにあろうか。トルコのトルコ人、トルコのクルド人、トルコのラズ人、トルコのグルジア人やトルコのチェルケズ人として、すべて我々の同胞だ」というメッセージを発した。

首相は戦死者の母たちの、何年にも渡って終わることのない苦しみにも言及した。「母親であることはイデオロギーとは関係がない」と述べたエルドアン首相は、「彼女たちは皆言う、『私が育て、養い、兵士にした。そして、戦場に行き、帰ってはこなかった』と。こういう母親たちをどんな言葉で慰めるのか。トルコの多くの母親が、ジュディ山のように、マンズル山のようにその場に立ち尽くしてきた。父の目は涙であふれ、涙は心に流れ込んだ。息子がどんな理由で命を落としたとしても、(同じイスラム教徒として)死んだ子供のためにコーランのヤスィンの章、ファーティハ(開扉)の章が読まれるなら、人々が同じメッカの方角をむいて祈るなら、ここにとても重大な誤りがあることは明白だ。この(抗争の)プロセスからどちらの側も勝ちを得ないことは明白だ。失ったのは、我が国民であることは明らかだ。失ったのが、母や父であることは明らかだ」と語った。

■成功を信じている

この問題について後戻りをしないこと、そして、テロが近い将来完全になくなると信じていると述べたエルドアン首相は、「この構想の実現はそう遠いことではない。私はこれを心の底から信じている。我々はこれを成功させるだろう。我々のやろうとしていることは、心からそう思ってのことだ。もやは、若い苗木が育つことなく枯れるのを、許すことはできない」と述べた。マンズル山で皆で一緒に(冬が終わり最初に咲く)カルデレンの花を摘みたいと思うと述べ、トルコに新しい地平をもたらすこと、トルコをよりよくすること、そして、力強い国家への成長をだれにも邪魔されないように努めることを強調した。

(中略)

■民族主義者行動党バフチェリに、我々の愛国心を云々する資格はない

首相は、野党の党首たちに建設的な態度をとるように求めた。「もはや、過去の言葉、概念、形容詞でトルコを語ることはできない」と述べ、時代遅れの論争や、終わりのない空論は何の役にもたたない、と続けた。「過去にとらわれている人々は、自分でも損をし、国家にも有害だ」とし、共和人民党と民族主義者行動党の態度を批判した。そして、両党とも合意に反対している、と述べた。彼らによる非難が「国家への反逆」というレベルにまでいたったと述べた首相は、民族主義者行動党のバフチェリ党首に対し、「バフチェリ氏が、近く行われる自分たちの党の党大会を考え、このような錯乱を行っているのは大きな間違いだ。我々の愛国心を計るような資格は彼には全くない」と、厳しく批判した。

訳者注1 エラズーの民謡を土台にし、オスマン帝国末期のイェメン戦役の悲劇を詠った民謡。
訳者注2 16世紀のディーヴァン詩人。アゼルバイジャン語(トルコ語)、ペルシャ語、アラビア語の詩を残した。
訳者注3 17世紀、東部アナトリアで活躍した詩人。クルド語でMem û Zînを著した
訳者注4 1938年クルシェヒル生れの吟遊詩人、歌手。アブダル音楽の歌い手として知られる。
訳者注5 1955年ウルファ生れのクルド人の音楽家。長年、フランスで活動。

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( 翻訳者:三上真人 )
( 記事ID:17168 )