1921年に承認された独立行進曲に代わる国歌の選考会の資料が初めて公開された。古びた資料は、復元される。
コンヤ手稿・写本図書館のベキル・シャーヒン館長は、手稿・写本に関心がある教師が過去6~7年で100点以上の資料を手に入れ、最近提出された57点の資料には、1925年に開催された独立行進曲選考会に関する審査基準、申請願、および、多数の詩といった重要な資料が含まれていると述べた。セルチュク大学コミュニケーション学部新聞学科ジャネル・アラバジュ講師も、共和国時代に新国歌作成のための選考会が行われていたことは知っているとし、次のように話した:「1924年、1925年以降、独立行進曲の改編に向けて運動が促進されており、マスコミにも取り上げられていた。しかしこの度、この選考会および内実に関して初めて一次資料が公開されることになった。新たな国歌の模索は、1924年以降のトルコの西洋化と関係づける必要がある。独立行進曲は、イギリス、フランス、ギリシャ、イタリアがトルコを占領している時期に書かれたものである。そのため、独立行進曲には、西洋に関するとてもはっきりとした表現があり、西洋を『一本の牙を残した化け物』であるとしている」。資料の中には、エニス・ベヒチ・コルユレキの詩やオスマン・ゼキ・ウンギョルが作曲した曲が記されている書簡、1925年に行われた独立行進曲作詞作曲選考会に関する1925年11月13日付ミッリエト新聞の告知も含まれている。
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( 翻訳者:田辺朋子 )
( 記事ID:17297 )