共通の故郷は「トルコ」と「クルディスタン」-オジャラン発言
2009年08月29日付 Milliyet 紙

オジャランが、刑務所で書いた「ロード・マップ」の名づけられたた160ページの手書きのメモのうちの一部が明らかになった。 「私をここに連れてきたものは誰か、どれくらい拘束するのか、明らかではない。私がどうなるのかわからない」という。

クルド問題の解決策に関する、2冊のノートからなる160ページのロード・マップを準備したテロリスト、アブドゥッラー・オジャランは、弁護士たちと行った直近の面会で、「共通の祖国はトルコとクルディスタンである」と述べた。

クルド労働者党(PKK)との近い関係で知られるフラト通信によって昨日報道された、水曜日のイムラル島(の刑務所)におけるオジャランと弁護士たちとの接見に関する記事は、要約すると以下の通りである。

■ 「彼らがどうするつもりなのか明らかでない。」

ここに投獄された理由は、この刑務所の諸条件とあわせて考えられねばならない。気管に圧迫感やつまりがあり困っている。ここの条件は拷問よりもひどい。彼らが何をするつもりなのかも明らかではない。

■ 「私をここでどのくらい拘束するのか」

私がここに連れてこられたのは、NATO軍の策略だ。この策略にはギリシャ軍も関与している。アメリカのCIAが関与し、イギリスのMI6が関与している。これらの総指揮もイギリスが行っている。アメリカは、私をトルコに引き渡した際、イランに関するアメリカの要求にトルコがこたえることを期待していた。

しかし、トルコはこれを受け入れなかった。ギリシャの方は、私の送致の見返りとして、トルコがギリシャに対してエーゲ海とキプロスにおける譲歩を与えることを考えていた。(だが)トルコは何も与えなかった。そのために、ここでの拘束がどうなるのか、わからない状況になった。私をここに連れてきた強国たちは、私をここでどのくらい拘束しておくつもりなのか明らかではない。

■ 「民族主義者行動党(MHP)は、アメリカの援助を失った」

エルドアンは、1、2回の脅迫で後退することがないようにしなければならない。私は、ムスタファ・ケマルをこの点で重要だと考えている。ムスタファ・ケマルは、短い期間ではあったものの、これらに対し、断固たる態度を示した。しかし、エルドアン首相はこれにどれほど応じるのかわからない。(民族主義者行動党の党首)バフチェリは、この解決策に対して激しく反対している。このプロセスに関し、自分にとっての損得を一番わかっている人物の一人がバフチェリである。参謀総長も会見を行っている。彼らは、何かを言わねばならぬと感じているのだ。バフチェリのこれほどの苛立ちと、解決策に対する抵抗はとても自然なことだ。なぜなら、アメリカの援助を失った状況だからだ。彼らは、2、30年前何千もの左派の人々を殺した。

■ 「左派は何もわかっていない」

トルコで、左派は全く何もわかっていない。彼らは何をしているのか?もっとも、左派のいくつかの分派は、エルゲネコン組織の一部になっている状態だ。彼らは政治をするということを知らない。

■ 「防衛は安全保障のためのシステムである」

「自衛」に関する私の見解は、報道では否定的に評価されたようだ。トルコには、20万の独自の兵がいる。私の言った軍は、軍のなかに別組織をつくるとか、国軍とは別の独立した軍をつくる、という話ではない。私の述べたのは、都市において、そこの住民が選ぶ治安警官のような形だ。村々でも、村の住民の選ぶ民兵のような、そう、民兵と呼べるような、信頼できる人々からなる、一つの警備部隊、一つの警備システムのことだ。しかし、これを創設するのは今ではない、将来的なこととして述べたまでだ。この件で誰の怒りもかいたくはない。間違った解釈もしないではしい。最終的には、これも論点になるだろう。

■ 「2000万のクルド人の言語はどうなる?」

そう、国家の公用語はトルコ語でよい。だが、2000万の人々の言語はどうなる?この2000万人の人々は動物ではないのだ。言葉について語るなら、もし言語(クルド語)を組織化できなければ、言語を使用できなければ、言語を教えられなければ、新聞、ラジオ、テレビなどで毎日使用できなければ、教育機関で使わなければ、言語をどうやって発展させていくというのか。

■ 「共和国は民主化によって輝く」

共通の祖国はトルコとクルディスタンだ。クルド人たちはトルコとクルディスタンを共通の祖国として受け入れるだろう。トルコ人たちも、トルコとクルディスタンを共通の祖国として認知するだろう。クルディスタンという単語も私がいいだした単語ではない。セルジューク朝スルタンのサンジャルによって、初めて使われたらしい。歴史的な概念だ。今現在、すでに共和国がある。共和国が民主化によって輝く時がきたのだ。

■ ロード・マップに対するオジャランの定義

ロード・マップは民主的で、人々を一体化させるもので、人々をまとめるものである。トルコ国民に、そしてトルコの民主化に貢献するものである。加えて、内務大臣がトルコ・モデルという、そのまさにそれがロード・マップ、解決のためのトルコ・モデルがこれである。
私は、ロード・マップを160ページにわたるものとして用意した。(他にも)600ページ、裁判用書類として「中東の文明を民主化する」という章を書いた。全部で760ページだ。全てを刑務所の管理組織に手渡した。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:能勢美紀 )
( 記事ID:17310 )