司法権長官は、新たな検事副総長及び刑務所庁長官をそれぞれ任命した。
司法権高官の人事を続けているアーヤトッラー・サーデグ・アーモリー=ラーリージャーニー司法権長官は、その一環として
サイード・モルタザヴィーを検事副総長に、
ゴラーム・ホセイン・エスマーイーリーを刑務所庁長官にそれぞれ任命した。
サイード・モルタザヴィー氏は1336年〔西暦1957/8年〕にヤズドに生まれた。同氏は1369年〔西暦1990/91年〕以降、司法機関での仕事に携わるようになり、〔ケルマーン州〕ラフサンジャーン検察庁検事補、〔同〕シャフレ・バーバク独立第2司法裁判所長、シャフレ・バーバク司法長官、テヘラン一般裁判所第9法廷裁判長、
政府職員犯罪審理裁判所第34・第1410法廷裁判長などを歴任した。
〔※政府職員犯罪審理裁判所(通称、政府職員特別法廷)は政府職員だけでなく、プレス関係者の「報道犯罪」を裁く裁判所で、この時期サイード・モルタザヴィーは改革派系の新聞・雑誌を次々に発行停止へ追い込んだことで有名〕
同氏は1382年オルディーベヘシュト月〔2003年4/5月〕、検察庁の復活に伴い、テヘラン一般革命検察の舵取りを任された。
〔※同年、モルタザヴィーはカナダ=イラン人女性フォトジャーナリストがエヴィーン刑務所で不審な死を遂げたことに、検察として関与した疑いがもたれている。なお、このときまでイランでは裁判官と検察官は一体であった〕
同氏はこれまでにイラン・ヨーロッパ裁判官国際会議、イスラーム諸国検察官会議、イスラーム諸国司法権長官会議、及びパレスチナ・エルサレム占領体制戦争犯罪国際会議など、4つの国際会議を開催したことがある。
新たに検事副総長に就任したモルタザヴィー氏は、刑法・犯罪学の博士課程を首席で修了している。同氏は現在、大学の学術委員・教授も務めており、これまでに4冊の著作がある。
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( 翻訳者:斉藤正道 )
( 記事ID:17355 )