ギュナイ文化観光相、「強い軍、強いトルコ」ポスターに不快感
2009年09月03日付 Zaman 紙

文化観光省のエルトゥールル・ギュナイ大臣は、8月30日の戦勝記念日にちなみ参謀長本部によって至る所に張り出されているポスターの「強い軍、強いトルコ」というスローガンが正しいとは思わないと述べた。

「このスローガンの文言は逆でなくてはならないと」話すギュナイ文化観光相は以下のように述べた。「前後が逆になっている。全てを含んでいるのが、「トルコ」だ。トルコが強くあれば、軍、国、政府、国会、政府、すべてが強くなる。「強い軍」は、弱い国民を、(国の)指導者を、(国の)システムを守ることはできない。サダムの軍は強かったがサダムを守ることができなかった。イラン軍も王を守ることができなかった。なぜなら民主主義が存在せず、政府は弱く、国民が尊重されていなかったからだ。」

■「エヴレンの「元大統領と」いう称号と、宿舎は剥奪すべきだ」

最近の話題について本紙に語ったギュナイ文化観光相は、今年で29年目となる1980年の9月12日軍事クーデターのもたらした打撃について話した。当時は共和人民党の政治家として裁かれ、ママク刑務所に一時期身をおいていたギュナイ大臣は、民主主義に敬意を払うという意味で、9月12日軍事クーデターの総括が必要だとする立場だ。「象徴的な一歩を」と求めるギュナイ文化観光相は、ケナン・エヴレンの元大統領の称号と、公用車、官宿舎は剥奪されるべきだと述べた。

ギュナイ文化観光相は、「民主的な解決策」の重要性にもふれた。目標は、(民主主義の)普遍的な水準に達することであるとし、その意味で、静かに民主主義革命が進んでいるのだとした。「殉職兵士たちは、我々の琴線にふれる。その一方では新たな殉職者がでませんように、と願う。この民主化のプロセスは、大きな裏切りや宣伝行為によって損害を蒙らなければ、国民がもとめている方向である。卑怯な攻撃は歴史的な罠である。この罠さえなければ、トルコはこのプロセスを先行させることができるだろう。」

■「共和人民党の組織には、「人民の敵」がいる」

エルトゥールル・ギュナイ文化観光相は、(クルド問題解決のための)プロセスの開始にともない各方面で口にされはじめた「分裂」について、それを心配することには反対した。分裂と分断の主張は、恐怖と抗争によって政治を行おうとする(古い)理解の遺物であるとする意見を述べた。野党によって提起されている非難は、冷戦時代から残る古い政治的慣習だとするギュナイ文化観光相は、近年の歴史から重要な指摘をした。「トルコにはこの冬の共産主義が来る」という言葉を言いだしたジェラル・バヤルがアドナン・メンデレスと共に、1946年イスメト将軍(イスメト・イノニュ)率いる共和人民党によって「ゴムニスト」だとして非難されたことをもちだした。「考えられるだろうか、この国ではフェヴィジ・チャクマク元帥でさえ共産主義者だとして非難されたことがある。今となっては、当時の非難がどれほど馬鹿げているかは歴史が語っている」と話した。

すでに恐怖政治は幕を下ろし、この種の言説には中身がないと述べるギュナイ文化観光相は、にも関わらず、野党はこれを理解しないとし、びっくりするような野党評をのべた。「共和人民党のトップには、完全に、人民の敵、人民を恐れる言説や政治家がいる。一党独裁時代の考え方からいまだ抜け出せないでいる。こうした考え方は、民主化のための時間を浪費させる。」

ギュナイ文化観光相は、民族主義者行動党についても、それが衝突の上に立脚した、真の愛国心とは何なのかを理解しない指導者の手にある党だとの主張を展開した。ギュナイ文化観光相によると、「アルプアルスラン・トゥルケシュがもし生きていたら、内政、外政のプロセスにもっと肯定的な貢献していただろう。近年における歩みはこれを示すものだった。

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( 翻訳者:近岡由紀 )
( 記事ID:17365 )