ファーティフ・アクン監督、インタビュー
2009年09月14日付 Hurriyet 紙

ファーティフ・アクンがハットトリックをおこなった。著名な監督が、ベルリンとカンヌの成功に続いて、最新作の「ソウルキッチン」でヴェネチア映画祭でも審査員特別賞を受賞し、5年間でヨーロッパの3つの主要な映画祭での受賞により成功を示した。

2004年に「愛より強く」でベルリン映画祭の金熊賞とヨーロッパ映画賞を、2007年には、「そして、私たちは愛に帰る」でカンヌ映画祭の最優秀シナリオ賞を受賞したファーティフ・アクンは、「ソウルキッチン」という名のコメディで更に大きな成功を手にし、ヴェネチア映画祭では、審査員特別賞を獲得した。監督として26番目の賞を獲ったアクンは、ヴェネチアでレハ・エルスの質問に答えた。

5年間でヨーロッパの主要な3つの映画祭の賞を獲ることはすべての監督に許されたことではないが…。

- 賞をとることはもちろんいいことだが、信じて欲しいのは私にとっては観客がどのくらい気に入ってくれたかが大事だ。映画祭であなたが賞を取ったとしても、映画館で空席は目立てばすぐに上映されなくなるだろう。これはよくあることだ。とてもうれしいことに、「ソウルキッチン」は多くの国で上映が決まった。

以前にお会いしたとき、「インテリなものではなく、コメディ映画がヴェネチア映画祭にノミネートされた事が、最もうれしいことだ。」と言っていたが。

- もちろんそうだ。本来「ソウルキッチン」は、カンヌ映画祭にノミネートされたが、気に入らない、不十分で私を不愉快にさせる箇所があった。これらを再度撮りなおし、編集した。そのためカンヌには間に合わなかった。カンヌへの意気込みがヴェネチアでの幸運につながったと言えるだろう。

この映画のプロジェクトは、他の受賞作の「愛より強く」と「そして、私たちは愛に帰る」よりもまえから考えていたというのは本当か。

- 本当だ。2003年に映画のシナリオを書くのを始めたが、その時にはこのようなコメディ映画という事で準備はしていなかった。「ソウルキッチン」はマイノリティの家族、恋、信仰、正直さ、友情、音楽、グルメ、協力、そして各個人の物語がコメディタッチになった。

これほどの賞を受賞するとヨーロッパ映画界はあなたにとって狭く感じないのか。例えばハリウッドなどに惹かれないのか。

- こう言えるだろう。ドイツが私を国外に追いやり、トルコも居住を許可しないなら、その時は、ハリウッドを考えるだろう。

「この映画で、ハンブルクに借りを返した」といったが、どんな借りなのか。

- 私は、ハンブルクと一体となったが、ふつう人々は自分の住んでいる町を発見できない。だって、トルコにいる同業者たちは、私に「イスタンブルを外国人の目線で描いてくれ。私たちの目線では見逃してしまうものを見つけてくれ」と言う。どれほど正しいか。私は、イスタンブルの隅々を見て、ホテルの部屋を描いた。ベイオールの裏通りを覚えた。そして、ハンブルクでも同じことを試した。そして映画が生まれた。そう、この映画は住んでいる町に借りを返したのだ。

映画でウール・ユジェリがちょい役で出演していた。骨を折った整体師ケマル…。

- ウールは、わたしにとって伝説だ。この役には、他の誰も思いつかなかった。3秒の出演であったとしても、このフィルムの肝だった。ウールには、すべての私の映画で演じて欲しい。

主役でギリシャ人のアダム・ボウサドクスが演じていたが…。

-アダムは私の幼馴染だ。典型的ギリシャ系移民の2世で、ハンブルクにはタヴェルナもある。つまり、本当にレストランのオーナーでいいコックだ。彼の店は、集まりの場所であり、冒険の舞台であり、お祝いをしたり、計画を立てたりする我が家のような場所だ。このような映画のためには、あそこほどいい場所は見つからないだろう。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:新井慧 )
( 記事ID:17437 )