スィイルト県「アタテュルクが町に来た日をまちがえてました」
2009年09月14日付 Radikal 紙

37年間、アタテュルクによる訪問を9月14日に祝っていたスィイルト県で、今後は祝祭を11月27日に行うことになった。9月14日と名のつく学校も名称が変更される。

ムスタファ・ケマル・アタテュルクによるスィイルト県への訪問の93周年記念式典が、今年を最後として9月14日に行われた。ネジャティ・シェンチュルク県知事は、アタテュルクがスィイルト県を訪問した日が誤認されていたとし、そのため今後は記念式典を11月27日に行うと話した。
アタテュルク記念碑には花輪が供えられ、敬礼、そして国歌であるイスティクラル・マーチ(独立行進曲)の演奏に引き続き、県庁の前で式典が催された。セレモニーでスピーチをしたネジャティ・シェンチュルク県知事は、この日付のミスは来年から修正すると述べた。
シェンチュルク県知事は、アタテュルクの回想録を読んだことに触れ、次のように話した。
「アタテュルクは、1916年11月27日にスィイルト県を訪問したという。この事実はトルコ歴史協会出版会から発行された複数の出版物においてアタテュルク自身が語ったとされている。トルコ歴史協会と参謀本部戦争[史]調査室と協議した上で祝祭日を11月27日とすることにする。また、県内のいくつかの学校には9月14日という名前つけてしまっている。これらについても名称を11月27日に改める予定である。記念式典は来年からは11月27日に行う」
スィイルト学術・スポーツ財団のアーティスト、リュトフュ・トルシャクさんによるコンサートに続き、記念式典ではスィイルト県の近現代史を振り返る写真展の開会式が行われた。

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( 翻訳者:萩原絵理香 )
( 記事ID:17444 )