■ イラクの懸念
2009年10月05日付アル・ハヤート紙(イギリス)HPコラム面
【ガッサーン・シャルベル】
ヒースロー空港で本紙読者だというイラク人に呼び止められた。彼が言うには、我々の新聞はイラク情勢を伝えてはいるが、より重要と思われるトピック、つまり、内部分裂を煽っている種々の介入のためイラク再建が失敗するかもしれないという話題にスポットを当てていない。情勢をフォローしている私は、イラクが困難な状態にあり、移行期間は更に難しいと承知していたが、彼の発言から感じたほどの深刻な不安を覚えてはいなかった。
声をかけてきたこの男性について、最初は、サッダーム体制からの脱却が平穏な安定した民主主義の誕生につながると期待した人々の一人だろうと思った。それに続いた出来事が彼を落胆させたのだと。私のそのような予測を感じ取ったらしく、彼は自分の見解を説明した。
曰く、「私は、ナジャフ出身のイラク人であり、サッダーム体制を憎むことはあっても懐かしがることは決してない。未だにサッダームの名に嫌悪を催す。しかし、サッダームという問題は終結し、新しいサッダームが生まれる余地もない。占領もまた終結に向かおうとしている。アメリカは退去を欲しており、イラクを知る者は、恒常的に米軍基地をイラクに置く事は不可能だと理解している。それよりも私が心配しているのは、イラク社会が被った侵害である。国は全く分裂し崩壊してしまった。あらゆる宗派、あるいは民族グループが、各々の心配事、要請、もしくは外部との関係に従って動くようになった」
もう少し説明を求めると、彼は言った。「私はナジャフのシーア派だが、イラク人であり、イラク人として話している。私にとってイランは隣国で、イランに対する過激な、あるいは神経過敏な発言には反対する。イランがイラクにとって自然な脅威であるとの見解には賛成できない。イランの脅威に備えるため、という根拠でイラク国家が建設されることにも反対だ。イラクにとってのイランは、経済、政治、文化面でより良い協力関係をつくれる隣人であってほしい。しかしこれは単なる希望であり、実際に起きている事はまた別である」
「正直なところ、イラク国家が近くできるとは全く思えない。政府の諸機関、特に治安機関がずたずたである。イラク国内の決定にイランが及ぼす影響の大きさを、普通のイラク人が感じ取れるまでになっている。南部州でのイランの役割はあからさまになった。多くの場合、それは地元の諸機関を通じて現れている。一言でいえば、私はこれを受け入れられない。イラク人として、そしてアラブ人として、イラクは、その領土に主権を有する国家であってほしい。私はイランの威を借りたくはない。他のイラク人が、域内、あるいはその他の国の影響力をバックにつけることも認めない」
私は幾つかの事件を提示し、彼の不安を解明しようとした。イランは、軍事訓練、武器や資金の供与によって政党や民兵組織を有するグループと関係を構築しており、それを通じて物事を動かす力をもっている。彼は、イランの介入がその他の介入も呼び込んだが、それもまたきっぱりと拒絶したいと述べた。イランは、その介入により両国関係を引き裂き危機に陥らせる可能性がある。隣国が国境を尊重せず、イラク国家創設プランをかき乱すことを止めないないなら、イラクは、その国民にとっても隣人にとっても危機的状況の発生源となるだろう。イランが安定し繁栄する国であってほしいと思うが、イラクの決定を左右するようなことは受け入れられない。同時に、シリア、サウジ、ヨルダン、トルコに対しても同じ気持ちである。
彼は、国家再建の行き詰まりに多大な責任があるのは、イラクの政治勢力だと述べた。ほとんどの派閥が、自身の宗派、民族、地域的な利害を優先し、社会全体として協力し合う立場をないがしろにしている。地域的、国際的な介入がなくなれば、全てのイラク構成グループを抱合する国でイラク人同士が出会う機会が得られるだろう。
悲観的見方に読者を引き込みたくはないのだが、立場上匿名を希望したこの人物の懸念は、私には尤もだと思われた。
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( 翻訳者:十倉桐子 )
( 記事ID:17593 )