テレビ番組で日本人とアラブ人の行動を比較、日本人のマナーと規律に驚き
2009年10月16日付 Al-Ahram 紙

■ 日本とアラブ!

2009年10月16日付アル・アハラーム紙(エジプト)HPオピニオン面

【ターリク・ムガーヒド】

聖ラマダーン月に、私が評価しているある衛星放送の宗教チャンネルの番組を、他の視聴者と同じく私も観てみた。その番組は、簡単にいうと、日本とアラブ世界の良い面と悪い面を比較する内容だった。私が覚えている所では、番組は日本を“ひとつの惑星”として描き出し、国民の振る舞いがよろしくないアラブ世界をそれとは別の惑星とみなしていた。番組スタッフは、日本国民のきりがないほど多くの良い振舞を見せつけるための努力を惜しまなかった。日本の国民は規律正しく、そのことは通りや学校や家での子供の振舞にも見て取れた。労働者や一般市民、交通整理などの振る舞いも同様だ。番組で見た日本の人々の日常行動は、想像以上の驚きだとしか言いようがない。

それも当然だろう。というのも、私たちは皆、日本の人々がどれほど礼儀正しく、規律を守るかをよく知っているからだ。残念なのは、もう一方の側がきりがないまでの欠点を見せつけたことだ。無秩序な交通、不潔さ、規律のなさ、でたらめ、ごまかし…これらは全てアラブの諸都市でよく知られたことだ。これらの都市で観光客に向けられる市民の振舞いによって、外国からの観光が悪影響を受けているほどだ。その最たるものは、観光客に対する盗みやペテンである。これは誰一人知らぬ者のない事実だ。番組のエンディングに流された『タタールの歌』からは、アラブ・イスラーム世界こそ、ほかの国民たちよりもこうした教えや高潔な振舞いにふさわしいはずなのにという思いが伝わってきた。それらはイスラームがわれわれに促し、預言者ムハンマドがわれわれに伝えた教えのはずなのだ。

 ここまで番組は健闘しており、スタッフは日本の最も良い面と、我らアラブ世界とそのいくつかの都市の最悪の面を描き出そうと努力していた。まったくもって最悪だったのは、ある回で放映された安全に関するものだった。実際これは斬新なアイデアだった。例えば、日本では物がなくなってしまうことなどない、なぜなら日本では何かをなくした人がそれを見つけるのはたやすいからだ、と番組は言う。そして番組スタッフが公園にお金の入った財布を置いておき、たまたまその場所を通りかかった一人の日本人がそれを見つけて取り上げ、妻と一緒に2キロも歩いて最寄りの交番に届ける様子をカメラで映したのである。このような行動は我らがアラブ世界にはほとんど見いだされない。これは文化や自制心によるものだ。

一方、番組スタッフはエジプトでも同じ仕掛けをしたが、残念なことに結果はひどいものだった。二人の若者が財布を拾ったが、残念なことに二人はそれを隠して持ち去り、山分けしたのである。番組はその一部始終を、音声と映像つきで記録していた。これは安全の欠如とペテンの明らかな印である。私はこの目で見たものを否定するつもりはない。だが、安全の欠如にかんする回を撮影するのに、よりによってエジプトを選んだことは批判したい。同じようなひどい光景は、ほかのアラブの都市でもまったく同じ形で繰り返されたことだろう。どの都市がと言うつもりはないが。

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( 翻訳者:勝畑冬実 )
( 記事ID:17712 )