「エステクバール」再考
2009年11月01日付 Mardomsalari 紙

ここ最近、特に「アーバーン月13日」〔11月4日=アメリカ大使館占拠記念日〕を目前に控え、「エステクバール」「反エステクバール」ということばが、以前にも増して人々の口から発せられることが多くなっている。このことばは、57年バフマン月〔1979年2月=イラン・イスラーム革命が成就した月〕に起きたイラン人民による革命のなかで、つねに強調されていたことばであり、当時の人民による闘争を鼓舞しただけでなく、革命後も追求され続けてきたことばでもある。しかし近年、権力の座を射止めた一部の人々が、このことばの特定の用法のみを社会に広めようと躍起になっている様子が目に付くようになっている。
〔※「エステクバール」とは本来「傲慢」という意味だが、「モスタザフ」(被抑圧者)の対義語「モスタクバル」(抑圧者)の抽象・集合名詞として使われ、米英などの「抑圧諸国(体制)」を指す〕

 このような中、もう一度このことばについて考えてみることが大切だろう。「エステクバール(抑圧)との闘い」という概念は、イラン人民の長きにわたる闘争の歴史の中で、つねに「エステクバール全体」、すべての「モスタクバル(抑圧者)」たちとの対決を強調するものであった。特定の対象に対してのみ用いられてきた「シャー(国王)に死を」などのスローガンとは異なり、「エステクバール」ということばは、イラン人民の革命用語の中では、より一般的な対象に対して用いられ、強調されてきた。

 革命用語において、「エステクバール」は「モスタクバル(抑圧者)」たちの暴虐な権力〔=抑圧〕を意味することばであり、この暴虐・圧制は現実には、世界システムや国際関係の現状、つまり弱小国家に対する超大国による圧迫を指すと同時に、暴虐な政府そのもの〔=抑圧諸国〕をも指し示す。これは単なる概念のレベルだけの話ではない。歴史が示すように、巨大な世界的圧制者たちは、自国民を苦しめる弱小国家の圧制者たちに支持・支援を与えてきたのだ。

 それゆえ、「エステクバール」ということばは、一部の特定の外国に限定されるものではない。ところが近年、「エステクバール」はほんの一部の国に対してのみ使われることが多くなっている。「エステクバールとの闘い」という概念を、「アメリカとの闘い」に限定しようとする試みがなされているのである。

 「公的に名指しされている国以外の国に対して、エステクバールということばを当てはめるべきではない」といった発言を耳にすることが、最近多くなっている。イラン人民の闘争用語にある「東でもなく、西でもなく」というスローガンは、「東」であれ「西」であれ、はたまた「国内」であれなんであれ、あらゆる国のあらゆる圧制者が「エステクバール」の権化たり得るということを、明快に示してくれる。
〔※「東(共産主義)でもなく、西(資本主義)でもなく、イスラーム共和国」はイラン・イスラーム共和国体制の根本スローガンの一つで、イラン外務省の掲げるスローガンでもある〕

 恐らく政府関係者は、アメリカやイスラエルのみを「エステクバール」の対象として強調したいと考えているのだろう。しかし民衆の理解は、必ずしもそうではない。社会・政治生活に積極的に関わろうとする意識の高い人民は、「エステクバール」に対して独自の解釈をもっている。彼らにとって、圧制を行う者はどこの誰であろうと、「モスタクバル(抑圧者)」であることに変わりはないのだ。

 誰であれ、どの国であれ、自らの権力を利用して、人民の利益を脅かす者・国家はすべて「モスタクバル」である。ガザで犯罪行為を繰り返すイスラエル政府であれ、全世界に対して権力を振りかざすアメリカ政府であれ、チェチェンで殺戮を行っているロシア政府であれ、新疆自治区でムスリム殺しをしている中国政府であれ、そのことに変わりはないのだ。

 もしわれわれが、人民こそ国の基本的所有者であるということを認めるならば、彼らの考える「エステクバール」に従い、それに敬意を払うことが必要であろう——それがいかにわれわれの考えとは異なるものであったとしても、である。〔イランで〕権力を握る人々は、人民が自らの理解に従って「エステクバールとの闘い」を継続するであろうということを、認識しておく必要がある。「エステクバールとの闘い」「反抑圧」とは、人民の中に古くからの源をもつ考え方であり、それを軽んじることなどできないのだから。

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( 翻訳者:斎藤正道 )
( 記事ID:17791 )