8件連続復讐殺人事件:死のブラックリスト
2009年11月05日付 Iran 紙
68年〔西暦1989年〕、私が5歳だった頃、裕福な地元有力者ハーシェム(連続殺人事件で最後の被害者となった人物)の指示で、二人の人物が私の父を誘拐した。父は空き巣や家畜泥棒、その他様々な犯罪で、ハーシェムに協力していた。そんなとき、父の行方が分からなくなった。私たちは、(アブドッラーの子)マーシャッラーという名の男が、ハーシェムの指示で父を殺害したことを知った。そこで私たち家族は、告発を行った。ハーシェムの兄弟も、裁判所で罪を認める供述をした。ところが、ハーシェムは地元で影響力のある人物だったため、私たちは自らの訴えを証明することができなかった。
私が最初に殺したマーシャッラーは、私の父を殺した男だった。この男は地元でも指折りの悪党で、数々の恐ろしい犯罪を犯してきた人物だった。地元の人たちも、彼のことをとても怖がっていた。マーシャッラー殺害計画は、85年ティール月〔2006年6〜7月〕に練った。
彼は危険な男で、ほんの少しのヘマですぐに事件に感づき、私を殺してしまうだろうということは分かっていた。そこで、私は4晩にわたり、それと気付かれぬよう彼の家を監視し、計画を実行するのに適当な機会をうかがっていた。そしてついに、殺害実行を計画していた夜半過ぎ、マーシャッラーが自宅で独りでいる頃を見計らって、塀を乗り越えて中庭に入り、就寝中の彼に銃弾を浴びせた。
殺害後、しばらくの間は身を潜めていた。というのも、ハーシェムとその手下が私を追っていることを、私も分かっていたからだ。こうしている間に、私は二人目の殺害計画を練っていた。そして85年メフル月〔2006年9〜10月〕、家畜の世話をしているところを狙って、ハサンに銃弾を浴びせて殺害した。
ハサンの父親は数年前、私の家族にひどい嫌がらせをしてきた。そこで、ヤツに復讐する方法を常日頃探っていた。こういうわけで、私はあいつの息子を殺し、あいつを悲しませようと決意したんだ。計画通り、85年のメフル月初旬〔2006年9月下旬〕、それと悟られぬようハサンを監視し、適当な時期を見計らって、ハサンに銃弾を次々と撃ち込み、殺した。
85年エスファンド月〔2007年2〜3月〕、ある友人が私のもとにやってきて、『ファルハードという名の若い男が、娘たちに嫌がらせをしている。ファルハードに復讐をしたい』との相談を受けた。
事件当日、私は運転手役を務め、友人がファルハードの足に銃弾を撃ち込む計画を立てた。道路で待ち伏せをした。バイクに乗っているファルハードを目撃し、彼を追いかけた。友人に銃を渡した。ところが友人は撃つことができない。仕方なく、私が銃を撃つことに決めた。私はファルハードの足に狙いを定めた。ところが銃を撃ち込もうとしたちょうどその時、車の車輪がくぼみに落ち、思いがけず銃弾がファルハードの胸の部分を直撃してしまった。彼を殺すつもりは全然なかった。だから彼の死を知った時には、私はひどく泣いた。
情報屋を通じて、ダーヴードとシェハーブという二人の人物が、私の命を狙っているとの情報を得た。そこで致し方なく、先手を打つことにした。二人は私を人気のない場所に連れ込み、殺す計画を立てていた。
事件のあった日、私を殺害する計画のあることを知りつつ、私は彼らの運転するバイクに同乗した。そして沙漠に着くや、一瞬の不意を突いて、彼らを殺した。それから死体を埋めた。ただ、私の友人がその様子を目撃しており、友人が逮捕された時に事件をバラしてしまうことを恐れた私は、後日死体を掘り返し、別の場所に埋め直した。
私が殺した6人目は、レザーという名の男だった。彼もハーシェムの手下だった。もし私が彼をやらなければ、彼によって私がやられてしまうだろうということは、分かっていた。そこで87年オルディーベヘシュト月〔2008年4〜5月〕、彼をケナーレ・タフテ郡の椰子園に呼び込み、銃弾を浴びせて殺した。
この事件の後、しばらくは殺人を控えた。そんなある日、シャリーフ(ダーヴードの兄弟)が私のところにやってきて、『お前がシェハーブとダーヴードを殺したのは分かっている。今度、彼らの敵を討ってやる』と言ってきた。
シャリーフのこの脅しを聞いて、私は彼の名も殺害のブラックリストに載せざるを得なくなってしまった。今年のシャフリーヴァル月中旬〔2009年9月初旬〕、シャリーフがケナーレ・タフテのモアッレム広場付近のスーパーマーケットにいるところを見つけ、彼に銃弾を浴びせた。シャリーフは15発の銃弾を受けて死んだ。他にマンスールとアブドッラーという名の二名も負傷した。
ハーシェムは、私の手で殺される運命であることを知っていた。だから、私が要求したものは何でも受け入れた。数回にわたり、ハーシェムにカネを要求した。最後に彼のもとを訪れた時にも、カネを要求した。彼は一週間の猶予を求めてきた。
ハーシェムは、私がこの1週間、殺害計画を実行しないとタカをくくっていた。しかし私にとって重要なのは復讐であって、カネではなかった。だからメフル月14日火曜日の朝、私は彼が所有する店の前で、彼を殺した。ハーシェムは私の怨嗟の炎を鎮めようと、自分の娘を結婚に差し出してきた。もちろん、そんなものははねつけた。
モルタザーは取り調べの中で、8件の殺害を自供している。しかし、余罪の可能性もあることから、刑事特別捜査はいまだに続いている。また容疑者は、地域で発生した2件の武装強盗についても自供している。モルタザーとその協力者たちは87年ティール月〔2008年6〜7月〕に貴金属商に押し入り、窃盗の過程で店主の足を拳銃で撃った。店主は〔下半身〕不随となっている。
またこの悪党は、2件目の窃盗では、畜産業者の民家を襲い、金目の物を強奪している。また証拠によると、モルタザーとその仲間は、麻薬密輸業者のエスコートをしていたことも分かっている。
( 翻訳者:斉藤正道 )
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