モスクワ訪問のシャーヒン国会議長、ナーズム・ヒクメトの墓参り
2009年11月24日付 Radikal 紙

トルコ大国民議会(TBMM)のメフメト・アリ・シャーヒン議長は「墓前でファーティハ章(コーランの第1章)を唱えることは私の意志によるものだ。なぜならば彼が政治思想的に、いかなる思想を持っていたとしても、信仰ある人物であったのを知っているからだ」と述べた。

トルコ大国民議会(TBMM)のメフメト・アリ・シャーヒン議長は、著名な詩人であるナーズム・ヒクメトのモスクワにある墓をお参りし、ファーティハ章を唱えた。

ナーズム・ヒクメトは1963年6月3日にモスクワで亡くなったが、シャーヒン議長は多くの著名なロシアの政治家や芸術家が眠るノヴォデチ墓地にある彼の墓をお参りした際に記者らに会見を行い、ナーズム・ヒクメトを「トルコ文学の象徴と呼べる人物の一人」と評した。

著名な詩人(であるナーズム・ヒクメト)がトルコで活動していた時代に思想的理由で自由の制限を受けたと述べたシャーヒン議長は、「当時の過酷な条件下で闘っていたが、国外逃亡せざるを得なかった。長い間ロシアや鉄のカーテン(で閉ざされた)国々で生活を続け、そこで生涯を終えた」と述べた。

シャーヒン議長は、政府が先ごろ、過去に国籍を剥奪されたナーズム・ヒクメトの国籍を死後長らくして回復したことに触れた上で、「私は政府のこの兆候を、トルコ文学に重要な足跡を残したナーズム・ヒクメトのような立場にある芸術家に与えた評価として理解している」と述べた。

ナーズム・ヒクメトの墓を初めてお参りしたと述べたシャーヒン議長は、「墓前でファーティハ章を唱えることは私の意志によるものだ。なぜならば彼が政治思想的に、いかなる思想を持っていたとしても、信仰ある人物であったのを知っているからだ」と述べた。

シャーヒン議長はこの少し前に、ナーズム・ヒクメトと親交の厚かった人物の一人が議長に伝えたことによれば、ナーズムはとあるカドルの夜(預言者ムハンマドに最初の啓示が行われた夜)にソフィアにいた際、この人にモスクに連れて行くよう望んだという。

当人物がナーズム・ヒクメトをモスクに連れて行ったと述べたシャーヒン議長は、「このことは、異国の地であってもナーズム・ヒクメトが国民感情を持ち続けていたことの証拠である。私はそのことに基づいて彼に向けてファーティハ章を唱えることの必要性を感じた」と話した。

シャーヒン議長は、ナーズム・ヒクメトがロシアとトルコとの文化的な架け橋として評価することができるだろうと述べた上で、「このような彼は象徴といえる人物である。ここに来た際には墓参りや墓前で敬意をもって頭を下げることが責務だと思った」と語った。

TBMMのシャーヒン議長は、墓地を少しの間歩き回った際、ソヴィエト連邦指導者の一人であるニキータ・フルシチョフの墓前で、ハリル・アクンジュ在モスクワ大使からフルシチョフについて話を聞いた。モスクワでの全訪問を終えたシャーヒン議長は今日(24日)トルコに帰国する予定だ。

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( 翻訳者:三上真人 )
( 記事ID:17942 )