もっとも穏健なクルド政治家―議席剥奪のチュルク党首とトゥールク議員の経歴
2009年12月11日付 Milliyet 紙
憲法裁判所が民主市民党(DTP)の解党命令を出したのと同時に政治活動禁止処分が下されたアフメト・チュルク党首は、クルド政治家の中で最も経験がある穏健な政治家として知られている。チュルク党首は国会議員を5期勤め、クルド政治家の中にあって平和的な政治でで注目を集める人物の一人であった。
アフメト・チュルクは1942年7月2日にマルディンに生まれた。南東の部族のカンジョ家の出である。チュルクは1954年に父親のハジュ・シナンを亡くしたのだが、彼の活発な政治生命は国会議員であった兄のアブデュッラヒム・チュルクが殺されたことから始まった。国会議員には第15会期トルコ大国民議会(TBMM)において(1974) 共和人民党(CHP)からマルディン選出で初当選した。
その後数年間様々な左派政党において任務を果たした。1988年に死者6,000名、そしてそれ以上の人々が障害を残す原因となったハラブジャ大虐殺に関して1988年にパリで行われたクルド人会議に加わった、という理由で国会議員であった社会民主人民党(SHP)から除籍された。1990年に人民労働党(HEP)の創設メンバーとなった。
その当時HEPの創設とともに始めた民族主義的政治路線は、今日DTPによって新たな局面を獲得した。運動が政党化、そしてその結果としてDTPが結党された後、アイセル・トゥールクと共に政党の党首に選出された。このようにしてアイセル・トゥールクと共に、トルコで共同党首制度を最初に適用した政党の党首となった。2006年6月に行われたDTP党会議において共同党首制度が廃止されたため同党の唯一の党首として新たに選出された。2007年2月に行われた党会議において他に候補者が出なかったために新たに党首に選出された。2007年7月22日の選挙で無所属のマルディン選出の国会議員となった。
アフメト・チュルクはHEP結党と民主主義党(DEP)所属国会議員と党首の後、HADEP(人民民主党)と民主人民党(DEHAP)内で活発な活動を展開し、アブドゥッラー・オジャランとも時折会談を行っていた。この件について次のような回想がある:「我々は故オザルのメッセージを伝えるためにオジャランと会いました。オザルは我々に『流血を止めるために努力しなければならない』といったので、オジャランに休戦プロセスのために我々はベカーへ行く事を考えていると話すと、彼は『勿論だ』といいました。」
チュルクは、旧DEPの友人たちの執拗さの結果、再度アンカラに戻り政治の世界で3度目の運試しを決心した。しかし数ヵ月前まではザナとその友人たちが立ち上げた政党に絶望的であった。本紙のハサン・ジェマルが行ったルポルタージュによれば、民族主義政党について次のように話していた:「今日までに我々が立ち上げた全ての政党には説得力が欠けていました。政党の内規や政党内における民主主義の面において肯定的な部分を指摘することは難しかったのです。このためトルコのインテリもこれらの政党を信頼していませんでした。なぜならば舞台裏で他の人たちが操っていると考えられていたからです。このために我々の訴えは真剣に聞いてもらえませんでした。現在新たな見方を育まなければなりません。我々はもう後見人や代理人によって政治を生み出していくことはできないのです。」
同氏は、1期(第15回トルコ大国民議会)、2期(同第16回)、3期(同第18回)、4期(同第19回)、5期(同第23回)の計5期マルディン選出の国会議員であり、TBMM人権委員会委員長を務めた。妻と8人の子どもがいる。
アイセル・トゥールクの経歴
アイセル・トゥールクは憲法裁判所によって政治活動が禁じられ国会議員議席をはく奪された。同氏はDTPの共同党首であった。トゥールクは党内ではタカ派的な政治で知られており、世論に向けて行った発言で注意を集めていた。
アイセル・トゥールクは1965年7月17日エラズーに生まれた。イスタンブル大学法学部卒業。弁護士として働いた。社会法研究財団の運営委員会のメンバーであった。人権協会会員で愛国婦人組合を創立。DTP共同党首を務めた。第23回トルコ大国民議会のディヤルバクル選出議員。独身。アブドゥッラー・オジャランの元弁護士。アブドゥッラー・オジャランの友人であるアラーッティン・トゥールクの妹にあたる。アイセルは兄のアラーッティン・トゥールクのPKKにおける活発な役割のために昔から組織との関係があるといわれている。
DTP内で穏健派であったと言われ、アフメト・チュルクと共に党内で「受身で妥協派」として非難されていたトゥールクは2007年11月9日にDTP臨時党会議で共同党首を辞した。
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( 翻訳者:富田祐子 )
( 記事ID:18057 )