旧民主市民党(DTP)系自治体首長、平和民主党(BDP)へ移籍完了
2009年12月23日付 Hurriyet 紙
憲法裁判所により解党させられた民主市民党(DTP)系の91人の自治体首長と9人の県議会議長は、平和民主党(BDP)への移籍に関する請願書を提出する前に開催された式典で、同党のバッチを付けた。
開催された式典で演説をした平和民主党のデミル・チェリキ党首は、クルド人不在の、そしてクルド人の主張に耳を貸さない解決法が無理やり押し付けられようとしたと主張し、「我々は今も関係良好化の努力を続けている。少なくとも、我々の言語を憲法の下に保障された公式な言語とすべきである。我々の文化を憲法により保障すべきである」と述べた。ディヤルバクル広域市長オスマン・バイデミルも「平和民主党はトルコのすべての経験を基に7200万人を包括するだろう。7200万人分のバッチがある。さあ、一緒にトルコ全土を回りこのバッチを付けるのだ」と述べた。
憲法裁判所により解党させられた民主市民党系自治体首長と県議会議長らの平和民主党のへの移籍に関する式典が、ディヤルバクル広域市劇場にて開催された。式典には、平和民主党のデミル・チェリキ党首、5年間政治活動を禁止された元民主市民党ディヤルバクル県選出議員アイセル・トゥールク氏、同様に5年間政治活動を禁止されたため平和民主党へ入ることができなかったスィイルト広域市長セリム・サダク氏のほか、民主市民党系の91人の自治体首長と9人の県議会議長、民主市民党系の県議会議員が参加した。
■のばした平和の手は、受け入れられる必要がある
式典の開会のあいさつで、平和民主党のデミル・チェリキ党首は、この10年間でクルド人の国内的、社会的、経済的な改善に向けての政治的・民主的要求は大きく発展してきたと述べた。
同党首は「大きな代償にも関わらず、現在もこの地域から平和の手がさしだされていることは意味があり重要なことである。この平和の手は受け入れられる必要がある。クルド人のこの戦いは人々の希望ともなったのだ。クルド人は政治の民主化、国家の民主化を望む政治的戦略を発展させた。ヨーロッパでは各民族が地方ごとの自治政府をつくり、アイデンティティーと文化の保障を獲得している。EUでのこの変化を無視するのは不可能だ」と述べた。
■単性主義は問題を解決しなかった
平和民主党のチェリキ党首は、86年間続いた共和国の単性主義的、形式主義的理解におさまりきれないダイナミズムが大きなエネルギーを表に引き出し、もやはこれはコントロールできるものではないと述べた。
同党首は「昨日にしがみつくことは、このダイナミズムと変化の風に似つかわしくない。いまや近隣の国々と敵対するのではなく友好関係を築く時代である。86年間続いた既成概念と単性主義的理解は、問題に解決しない。しかし、今も、解決のための道を探す必要がある」と述べた。
■クルド人不在の、クルド人の主張に耳を貸さない解決法が押し付けられるところだった
平和民主党チェリキ党首は、昨年3月29日の選挙結果により、クルド人の意志が受け入れられるレベルで表明されたと主張し次のように話した。
「民主市民党が、98人の自治体首長と11人の県議会議長を選挙で獲得するのを防ぐことができなかった。この成功は自由と友好関係、平和への渇望の表れだ。そのためこの意志は尊重されざるをえなかった。しかしこの意志は4月14日の(PKKの関連組織であるKCKへの)軍事行動により停止させられそうになった。彼らは変わらなければいけないのだとわかっている。しかし最も少ない犠牲で大きな勝利を挙げたいと思っている。クルド人不在の、クルド人の主張に耳を貸さない解決法が押し付けられようとした。27年間政府は(1981年9.12クーデター後に制定された)9月12日憲法の改定を約束しながら、軍事主義の傘の下にあったため、この憲法を変えることができなかった。憲法が変わらなければ民主主義化もありえない。(クルド人の)組織的構造と関連諸機関に注意を向けなければ、結果を得ることはできない。民主市民党は1つのチャンスだった。クルド労働者党(PKK)が4月13日にとった停戦の決定とアブドゥッラー・オジャラン氏のロードマップは、クルド問題解決のための1つのチャンスだった。しかし、このチャンスは社会に提示されなかった。1999年にアブドゥッラー・オジャラン氏が国家の民主化のために提示した共和国民主化は、クルド人のため、トルコの民主化のためのチャンスだった。しかしこれはテロと見なされ解決はないものとされた。チャンスは逃げたわけではない、我々の前で待っている。この問題の解決のため民主的な共和国のため、あなたのような政治的主役がこの任務を担う必要がある。ハブル国境門での受け入れ行事も、平和のためにはクルド人には与えすぎだとみなされた。」
■クルド語とクルド文化に憲法の保障を
デミル・チェリキ党首は、今日までずっとカラオーラン、征服王スルタン・メフメトのような戦争を崇める人々が社会に教えてこられ、芸術家、詩人、作家は大切にされてこなかったと主張し次のように述べた。
「我々はいつも戦争の歌を教えられてきた。我々の中には恨みや憎悪、敵意の種がまかれてきた。クルド人は血が欲しいわけでもなく敵でもない。中東に最も古くからいる民族の中の一つだ。我々は今も関係良好化の努力を続けている。少なくとも、我々の言語が憲法の下に保障された公式な言語となることを望む。我々の文化が憲法により保障されることを望む。民主市民党の解党は法国家に相応しいものかもしれないが、そもそも合法ではない。民主市民党の解党は民主的ではない。議会で平和を支持する唯一の政党は民主市民党であった。望まれているのはクルド人不在の、クルド組織の力の排除なのだ」
■これ以上いかなる政党も解党させられませんように
自治体首長らを代表して演説したディヤルバクル広域市長オスマン・バイデミルは2002年から現在まで自分の意志で4つ目の政党のメンバーとなったがそのうち3つの政党は自分の意志とは関係なく解党させられたと述べた。バイデミルは次のように話した。
「私はこう信じている。われわれクルド人が行ってきたこの正しい戦いは、我々(クルド人)だけでなくトルコ国民にも平和、自由、平等と共生を必ずや形成する。我々はオークの木が、自由な生活を生き、また生かせる哲学の象徴であることを知っている。同時に長生きの象徴でもある。自然の中で最も屈強でしぶとい木であるオークの木にイエスといおう。我々はこの木に努力と平和と愛情を注ぐつもりだ。我々は地域全体に名誉ある平和と自由な生活を形成する。トルコの過去を振り返った時、そこはとても辛い経験に溢れている。平和民主党はトルコのすべての経験を基に7200万人を包括すると信じている。7200万人分のバッジがある。さあ一緒に、トルコ全土を回りこのバッジを付けるのだ。我々の政党だけではなく、いかなる政治政党もこれ以上この国で解党されることがありませんように。」
■「太陽となる準備はできている」
平和民主党に移籍した9人の県議会議長を代表して演説したヴァン県議会議長セミレ・ヴァルルは、民主市民党の党のシンボルについて言及し、「(民主市民党は」バラだったが、地面に散った。芽が出て苗木となった。明日解党させられたら、我々は全員、太陽(民主市民党系議員らがアブドゥッラー・オジャランのために使う言葉)となる準備はできている」とのべた。
演説の後、式典に参加した元民主市民党系の91人の自治体首長と9人の県議会議長らに対し、平和民主党のデミル・チェリキ党首と政治活動を禁止されているアイセル・トゥールク議員がバッチを付けた。
■エミネ・アイナを支持する説明が行われた
解党させられた民主市民党系の自治体首長と県議会議長は、平和民主党への移籍式典の前に、民主市民党の女性議員であるマルディン県選出議員エミネ・アイナを支持するための記者会見を行った。説明ではエミネ・アイナ議員に「化け物」と言ったビュレント・アルンチ副首相に抗議し、アルンチ副首相に対しアイナ議員への謝罪を求めた。
この記事の原文はこちら
( 翻訳者:釘田遼香 )
( 記事ID:18126 )