2009年には何があった?(no.11~20)
2010年01月01日付 Hurriyet 紙

3/5 ムスタファ・バルバイ逮捕
一連の「エルゲネコン」捜査の中で、ジュムフリイェト紙アンカラ支局長のムスタファ・バルバイとネリマン・アイドゥンが、それぞれ自宅で逮捕された。二人はイスタンブルで調書が取られた後、裁判所へ送致され、収監された。

3/25 ムフスィン・ヤズジュオールを乗せたヘリが墜落
大統一党(BBP)のムフスィン・ヤズジュオール党首と5人を乗せたヘリコプターが、カフラマン・マラシュで墜落した。3月27日に墜落したヘリの残骸が、2日後にカフラマン・マラシュのドンゲル村シャーヒンカヤスで発見された。イフラス報道通信社(İHA)のレポーターであるイスマイル・ギュネシの遺体は、3月30日に事故現場から600メートル離れた場所で発見された。この事故でBBPスィヴァス県党支部長のエルハン・ウステュンダーとユクセル・ヤンジュ副支部長、市議会議員候補のムラト・チェティンカヤも亡くなった。故ヤズジュオール党首は、メフメト・アーキフ・エルソイの居所もあったタジェッティン・デルギャーフに葬られた。

3/29 公正発展党(AKP)、地方選挙で議席を失う
トルコ全土で行われた選挙で、16広域市、65県、892郡そして1974都市の首長が明らかとなった。各政党が獲得した票の割合は以下の通り:
公正発展党(AKP):38.8% 
共和人民党(CHP):23.1% 
民族主義者行動党(MHP):16.1%
民主市民党(DTP):5.7%

4/2 民主左派党(DSP)に激震
DSP党本部は、地方選挙でCHPのイスタンブル広域市長候補のケマル・クルチダルオールを支援した理由で、国会議員のアフメト・タン、レジャイ・ビルギュン、タイフン・イチリ、ミュジャヒト・ペフリヴァンそしてエムレハン・ハルジュを「党から除籍」しようと中央風紀委員会に送った。9日後ゼキ・セゼルはDSP党首を辞任した。2ヵ月後の6月4日、DSPの結党者であったラフシャン・エジェヴィトもDSPから離党した。11月23日には民主左派人民党(DSHP)の名で、新政党が結成された。結党者には初代党首に選ばれたフルキ・ジェヴィズオールとならび、ラフシャン・エジェヴィトも名を連ねた。


4/5 オバマ米大統領、トルコを訪問
オバマ米大統領は、イスラーム諸国の最初の公式訪問先としてトルコを選んだ。オバマはアタテュルク廟を訪問した後、ギュル大統領と大統領府で会見した。オバマ大統領は、デニズ・バイカルCHP党首、デヴレト・バフチェリMHP党首、アフメト・チュルクDTP党首とも懇談し、トルコ大国民議会(TBMM)の総会で演説した。

4/17 エルゲネコン捜査、大学へ飛び火
一連の「エルゲネコン」捜査のもと、裁判所へ起こられたメフメト・ハベルラル教授、フェリト・ベルナイ教授、ムスタファ・ユルトゥクラン教授、ファーティフ・ヒルミオール教授、アイシェ・ユクセル教授、エロル・マニサル教授とハムディ・ギョクハン・エジェヴィト、オメル・サドゥン・オクユルトゥルクが収監された。マニサル教授は2ヵ月後、健康上の問題で釈放された。

4/29 バシュブーの頑なな発言
参謀総長のバシュブー陸軍大将は、エルゲネコン捜査の流れでトルコ国軍に向けられている意見に対し、2009年に2度答えた。まず4月29日に「クーデター計画と関わる日記」の存在に対し、「そんな(証拠)文書はない」と否定した。地中に埋められていた武器のうち、何一つトルコ国軍の記録に該当するものはなかったと告げた。バシュブーの2回目の発言は、AKPと(ギュレンの)教団を消滅させる計画として知られる文書に関わるものだった:「トルコは2週間にわたって、1枚の紙片のためにエネルギーを費やした。」しかしその後、行われた法医学鑑定で、(書類にあった)サインがドゥルスン・チチェキ大佐のものであることが明らかとなった。

4/27 ボスタンジュで衝突
イスタンブルのボスタンジュで「極左、分離主義者、急進派」に対して始められた掃討作戦において、衝突が起きた。この衝突で警視1名と一般人1名が命を落とし、警官6名記者1名が負傷した。

5/2 内閣改造
エルドアン首相は、地方選挙後に計画していた内閣改造を行った。エルドアンが発表した新閣僚(人事)では、ナーズム・エルケン、ムラト・バシュエスギオール、キュルシャド・トゥズメン、ムスタファ・サイド・ヤズジュオール、メフメト・アリ・シャーヒン、ケマル・ウナクタン、ヒュセイン・チェリキ、ヒルミ・ギュレルは内閣から外れた(ことが明らかとなった)。アリ・ババジャンは国務大臣と副首相を兼任し、ハヤティ・ヤズジュ、ファルク・チェリキ、ファルク・ナフィズ・オザク、ザフェル・チャーラヤンは国務大臣に、メフメト・シムシェキは財務大臣に、ニメト・チュブクチュは国民教育大臣に就任した。ビュレント・アルンチ、ジェヴデト・ユルマズ、セルマ・アリイェ・カヴァフ、サドゥッラフ・エルギン、ムスタファ・デミル、オメル・ディンチェル、ニハト・エルギュン、タネル・ユルドゥズは新たに入閣した。アフメト・ダヴトオールは民間より外務大臣に任命された。

5/4 ビルゲ村の惨劇
マルディンのマズダー郡にあるビルゲ村での結婚式が襲撃された。この襲撃により44名が死亡、6名が負傷した。死亡者のうち3名が妊娠中であった。襲撃は元村長のジェミル・チェレビの娘の結婚式で行われ、この事件で10名が逮捕された。逮捕された10人のうち、8人が5月6日に逮捕され、5月7日には残りの2名も逮捕された。

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( 翻訳者:杉田直子 )
( 記事ID:18180 )