5/18 テュルカン・サイラン氏亡くなる
現代生活支援協会(ÇYDD) 会長テュルカン・サイラン博士が、治療を受けていたイスタンブルの病院で亡くなった。エルゲネコン捜査の検察官らの指図による、何日にもわたるサイランさんの自宅捜査は世論の大きな反発を受けた。5月19日に行われた葬儀は、エルゲネコンと政府に反対する人々の抗議の場に変わった。
5/18 一兆リラ紛失訴訟
スィンジャン第一重罪裁判所は、ギュル大統領に対してアンカラ共和国検察庁が下した、「一兆リラ紛失」事件を立件せずとの決定を覆した。大統領官邸は、ギュル大統領が「被疑者ともならず裁かれることもなかった問題を理由に一部の勢力によって被疑者であるかのように言われるのは、全くもって了承しがたい」という声明を発表した。その後アンカラ共和国検察庁は、スィンジャン第一重罪裁判所の判断を覆すために法務省に訴えた。エルギン法務大臣は9月7日に、「不起訴決定」の「法的効力」を覆そうと意図したスィンジャン第一重罪裁判所の申請を最高裁共和国検察庁に送った、と明らかにした。
6/2 遺産のために家族を殺害
アダナのアパートの一室で、子ども3人を含む8人の家族の遺体が見つかった。家族のひとりムラト・ユクセルがこの惨殺を行ったことが判明した。
6/7 レベル判定試験(SBS)を受けさせない母親を撃った
アダナで、7年生のR・Aが、母親のソンギュル・Aさんが自分を学校に行かせず、レベル判定試験(SBS)を受けるのを妨害したと主張し、母親を拳銃で殺害した。(犯行を行った)14歳の少女は、社会福祉・児童養護協会(SHÇEK)の施設に移された。
6/12 「手書きサイン」問題
タラフ紙は、6月12日に海軍参謀のドゥルスン・チチェキ大佐の署名入りの書類について報道した。書類では、公正発展党(AKP)政府とギュレンの組織を狙うことが述べられていた。クーデタ前に混乱を作りだす計画を内包していたといわれる書類に関連して、チチェキ大佐は2度拘束され、釈放された。参謀本部は軍事裁判所に調査を開始させた。バシュブー参謀総長は、書類を「一片の紙切れ」としたが、法医学センターは、その署名がチチェキ大佐のものであるという報告書を提出した。 10月には、エルゲネコン捜査を行っていた検察官に、書類の「正本」が差出人不明の郵便で送られてきた。
6/18 ヒュセイン・チャプクン氏がイスタンブル県警本部長に
自身の行動で何度も批判の矛先となっていたジェラレッティン・ジェラフ氏が任務から外れた代わりに、イズミル県警本部長のヒュセイン・チャプクン氏が配属された。ジェラフ氏は、オスマニイェに知事として配属された。アンカラ県警本部長のエルジュメント・ユルマズ氏はイズミルへ、アンカラへはカイセリ県警本部長のオルハン・オズデミル氏が配属された。
7/8 ソマリアの海賊がトルコの船を襲った
ソマリアで、トルコ国旗を掲げた「Horizon-1」という名前の貨物船が、海賊に襲われた。アデン湾で襲われた「Horizon-1」という名前のトルコの船は、交渉の結果89日後に開放された。
7/14 ヒュセイン・ウズメズ逮捕される
ヴァキト紙のヒュセイン・ウズメズ記者は、14歳のB・Ç に対する性的いやがらせ容疑で2008年に逮捕された後、釈放された。7月14日、ヒュセイン・ウズメズ記者は、「児童わいせつ」と「性的目的の行動制限」容疑で裁かれた裁判で被害者が「身体及び精神状態を損ねている」との法医学局の報告書を受けて逮捕され、ブルサE型拘置所に入れられた。
7/15 黒海で洪水
オルドゥ、アルトヴィン、バルトゥンで起きた洪水、大水、山崩れによって4人が死亡し、11人が負傷し、3人が行方不明となった。7月16日に、アルトヴィンでの洪水、山崩れ、大水で行方不明となった3人のうち2人が死亡しているのが見つかり、死者数は6人に増えた。
7/19 禁煙法始まる
範囲が拡大された禁煙法が施行された。規制が効力を持つとともに、娯楽施設とレストランを含む公共及び民間に属するすべての建物の屋内でタバコを吸うことが禁止された。
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( 翻訳者:小松裕美子 )
( 記事ID:18181 )