イムラル島で科された終身刑に服するアブドゥッラー・オジャランは、イタリアで共産党系の最も重要な日刊機関紙の1つ「Il Manifesto」 紙でコラムの執筆を始めた。
オジャランの今日(9日)の最初のコラムは「我々クルド人求めるのは平和だけ」というタイトルで発表された。同紙が丸1ページを割いたオジャランの文章はイタリアに対する特別な関心について触れ、次のように始まっている。「イタリアは私にとって特別な意味を持つ国である。これはただ1998年11月にローマでクルド問題に民主的解決が模索されたためだけではなく、同時にイタリア史と自由に対する闘いに対し、それを行った人々へ非常なる敬意を持っている。」
オジャランは国際的な陰謀によって自身はローマからイムラル島に移されたが、この問題については後に話したいと述べ、アテネ、モスクワ、ローマの3ヶ月間の旅から多くを学んだと説明した。オジャランは続いて現代資本主義について述べ、次のように続けた。
「我々のアイデンティティのためだけにクルドの人々とともに戦ったのではない。我々の存在のために戦ったのだ。我々の戦いは、現代資本主義の抑圧に対し文明のゆりかごであるメソポタミアで『現代民主主義の魂』と我々が呼ぶ新たな選択肢を作ることである。世界は、テロリズムに対する偏執的敵意のなかにあり、トルコ政府は民主的な戦いを行う我々を『テロリスト』と分類している。これは我々にとっては昔からよく知るプロパガンダである。今日までトルコ政府の論理はクルドの人々の基本的人権を否定するもので、この権威主義は20世紀にドイツやイタリアで見られたファシズムに等しいものである。トルコ政府は未だ政治、経済、文化の分野においてクルド人に対して一種の虐殺政策を作り出している。クルド人はこれに対し厳しい抵抗を見せている。このナショナリストで愛国主義的、ファシズム的な態度はクルド人に対してつづけられているが、私は平和と民主主義のための解決法を探し続けている。」
オジャランはクルド人だけが平和を望んでいると主張し、文章を次のように続けた。
「1993年以降私は現実的な提案を見出し、具体的なステップを踏み出した。武力行使に対し1999年に私たちが一方的にとった休戦決定を続けた。この地域からのゲリラの撤退に関してトルコとカンディル・キャンプの間の象徴的な人数の、平和監視団がヨーロッパからやってきた。私はこの平和のための努力の一部分にすぎない。2009年にも攻撃は一方的に停戦し、ゲリラからなる平和のための使者がカンディルからトルコに赴いた。平和の努力継続に関する私の信念は尊重されるべきである。これら全てにもかかわらず、トルコ政府は態度を変えなかった。平和に向けて続けた我々の努力は軽視されてるべきではなく、我々が弱点を見せたと考えられてはならない。トルコの兵士たちは我々の人民に対し軍事作戦を継続している。あらゆる政府機関は声をそろえてこの問題を終わらせようと叫んでいる。公正発展党(AKP)政府はヨーロッパにこの問題の解決を信じさせているが、実際はなにもやっていない。同政府はクルド人の子供たちを投獄するための法律を制定し、ついにシュルナクで5人の子供を有罪として、懲役305年とした。この政府はありがたいことに民主市民党(DTP)を禁止した。クルドの人々は決して戦いを諦めないだろう。
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( 翻訳者:永山明子 )
( 記事ID:18229 )