同化政策にノー!―平和民主党第一回党大会で過激発言あいつぐ
2010年02月02日付 Milliyet 紙
BDP(平和民主党)の第1回臨時党大会で党首に選出されたデミルタシュ氏は、クルド人に対し母語使用、そしてクルド人の母親らに子供を軍に送らないよう求めて、市民としての抵抗を呼びかけた。
平和民主党(BDP)は、「トルコに対する民主的解決策」会議と位置付けられた第1回臨時党大会をアフメト・タネル・クシュラル体育館で開催した。289人の代表のうち288人の票を獲得して党首に選出されたディヤルバクル選出国会議員のセラハッティン・デミルタシュ氏は、クルド人に母語使用、そしてクルド人の母親に子供を軍に送らないよう求めて市民としての抵抗を呼びかけた。
大会ではトルコ国歌である独立行進曲は歌われず、演壇の後ろと向かいにトルコ国旗とアタテュルクの肖像が掲げられた。会議の参加者には、同党の「永久名誉代表」であるアブドゥッラー・オジャランの弟メフメト・オジャラン、そしてマフムル・キャンプとカンディル・キャンプから来た人々もいた。公正発展党(AKP)、共和人民党(CHP)や民族主義者行動党(MHP)は会議に代表を送らなかった。アブドゥッラー・オジャランが「自分を政争の道具にしないこと、平和民主党はPKK(クルド労働者党)の代弁者ではないこと、独自の政治を実行する」よう訴えたBDPの党大会では、演説の中で、度々「親愛なるオジャラン」や「クルド問題の解決においてオジャランが交渉相手と認められるように」との表現が用いられた。
■ マフムル・キャンプからPM(党議会)へ
デミルタシュ氏は、289人の代表のうち288人の票を獲得して党首に選ばれた。デミルタシュと共に同党の共同党首をギュルタン・クシャナク氏が務める。オジャランの弟であるメフメト・オジャラン氏は、定員80人の党議会(PM)のメンバーリストに入った。オジャランの呼びかけでやって来たマフムル・キャンプ・グループのうちニザル・ブルダン氏は、補欠リストから執行部に入る者たちの中に名を連ねた。KCK(クルディスタン社会連合)に対する強制捜査で逮捕され、解党したDTPの元副党首のカムラン・ユクセキ氏とベルギュラル・カイグスズ氏、セルマ・ウルマク氏も、補欠リストに名を連ねた。PMには「ベルガマ村の人たち」代表のオクタイ・コンヤル氏、俳優で作家のイェシム・ドルメン氏、ビュシュラ・エルサンル教授も参加した。
■ 市民としての抵抗呼びかけ
デミルタシュ新党首は演説で次のように述べた。
・クルド人に向けて:子供たちに母語でよりよい教育を受けさせたいと願うすべての保護者に申し上げるが、同化政策に抵抗しなさい。請願書を手に持って国民教育省の責任者のところへ行きなさい。子供たちには自分たちの母語を教えなさい、家の中では絶対に母語で話しなさい、名前をつけるときには母語の名前をつけなさい。ユルマズ・エルドアンやマフスン・クルムズギュルのような芸術家に申し上げる。母語で作品を作りなさい。同化政策はこうした方法で防ぐことができる。クルド語以外の母語のためにも我々は自由を望む。
・代償を支払わせるつもりだ:市民に向かって申し上げる。手にはめられた手錠を外してAKPの「ものの考え方」という「首」にそれをはめようではないか。AKPよ、あなた方が街で傷つけ、何十年ものあいだ処罰し、刑務所に入れた我々の幼い子供たちの権利のために、我々は誓うのである、この代償をあなた方に支払わせるつもりであると。
・我々の団結:(AKPやCHPの中のクルド人に呼びかけて)さあ我々の団結を強化させようではないか。親愛なるオジャランはクルド問題において最も熟慮し、解決策を考えだした人物である。影響力もここから生み出されている。彼らの提案がクルド人によって受け入れられることは、親愛なるオジャランが交渉相手となるようにすることである。親愛なるオジャランは、その平和の追求、考え、PKKそして市民レヴェルでの結束力であるという点で、最も影響力のあるアクターである。
・平和の会合:パレスチナでイスラエルとハマスの間で仲介役を務めようとし、またアフガニスタンでタリバンと政府の間で仲介役を務めると誓った政府は、自国での血や涙を止めるための平和の会合から逃げているのに、母の涙をどうやって止められよう。
・母親たちに:軍または山(PKK)に言ってしまった子供たちの母親に申し上げる。子供の死に対し、傍観者でいてはいけない。必要ならば軍関係機関の門で待ち構えて、「私たちの子供は死なせたくない」と言いなさい。
■ 「民主的な自治」
ギュルタン・クシャナク氏は、「(我々を)叩きのめそうとしている者らがつくった掃討作戦を実行しているのはAKPだ。この和解調停の基礎は2月28日に始まった。ドルマバフチェでの会合で新たなロードマップが明かされた。首相には説明してもらいたいものだ。AKPはこの代償を払うことになる。言語が、教育言語でもなく、公的な場でも使用されなければ、忘れさられてしまう運命となる。われわれの政党が提案する『民主的な自治』モデルはトルコ全体にとって現代的であり民主的なモデルだ」と述べた。
(注)
デミルタシュ氏からオジャランのポスターに向けて、[これが現実である]
・会場にはBDP所属の地方自治体首長の手錠をかけられた写真と一緒に、デルスィム蜂起で処刑された指導者セイト・ルザーの「あなた方の嘘やいかさまによって我々は立ち向かうことができなかった。これが我々への教訓となるように。しかしわれわれもあなた方の前にひざまづかなかった。これもまたあなた方への教訓となるように」との言葉が書かれたプラカードが掲げられた。
・会場にはクルド語のプラカードは掲げられなかったが、左派に呼び掛けるプラカードは用いられた。党大会にたいしTEKEL(トルコ専売公社)労働者らも支持を寄せた。
・憲法裁判所が政治活動を禁止して解党させたDTP(民主市民党)の、最後の党首であったアフメト・チュルク氏とアイセル・トゥールク氏は、会場に拍手を受けて入った。元民主主義党(DEP)のレイラ・ザナ氏も、解党したDEPのオルハン・ドアン氏の娘とともに党大会の会場に現れた。
・党大会に参加した人たちは、ディヤルバクル市長のオスマン・バイデミル氏に最大の関心を示した。
・デミルタシュ氏がオジャランについて言及した際に、覆面をかぶった集団がPKK旗とオジャランのポスターを広げた。PKK旗は人から人へと渡された。デミルタシュ氏はこの際、「現実はこうである」と述べた。
・党大会に、治安部隊に投石したため刑務所に入れられた子供たちも、現在の状況を説明したメッセージを送った。
・党大会では新規則とプログラムも承認された。規則には「共同党首制」が盛り込まれた。
この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る
( 翻訳者:三上真人 )
( 記事ID:18394 )