イスタンブルに残っている最も古い時計台であり、現在倒壊しかけているトプハーネにあるヌスレティイェ時計台は、2010年ヨーロッパ文化都市委員会の支援により修復される。
アナトリアの時計台に関する研究を行っているガーズィー大学の理文系学部美術歴史学科の教員ハック・アジュン助教授は、スルタン、アブデュルメジトにより162年前に造られ現在トプハーネにあるイスタンブル・モダン 美術館の庭の中にあるヌスレティイェ時計台について説明した。
アジュン氏は、トプハーネ兵舎の前、ネスレティイェ・モスクの後ろ側にあるヌスレティイェ時計台の1階にあるスルタン、アブデュルメジトのトゥーラ(スルタンの花押)の上にある碑文が、ヒジュラ暦1264年、太陽暦でいうと1848、49年を示していると明らかにし、高さ15メートル3階建て、時計のブランドはゼニス社であると説明した。
同氏は時計台を造ったのは建築家バルヤン一家であると言われていると明らかにし、「時計台はおそらくヌスレティイェ・モスクと共に造られました。以前は時計台の4面すべてに時計があったらしいのです。これらは取り外され、現在はただ時計の針が残っています。時計は盗まれたか他の場所で使用された可能性があります」と述べた。
■「イスタンブルに9つの時計台がある」
ヌスレティイェ時計台には「イスタンブルに残っている最も古い時計台」という特徴があると強調したアジュン助教授は、時計台が海岸沿いに造られたが、海の埋め立てにより海岸からはなれてしまったと述べた。
同氏は建造物の中にあるものを数えなければ、イスタンブルに残っている時計台は9つであると明らかにし、これらはヌスレティイェ、ユルドゥズ宮殿、ドルマバフチェ宮殿、デニズ病院、ハイダルパシャ高校、スィルケジ駅、ボアズィチ大学、シシュリ・エトファル教育研究病院、ビュユクアダ島の時計台である。ヌスレティイェ時計台の一辺は4.35メートル、高さは15メートルであり、3階建てであると明らかにしたアジュン氏は、時計台の構造は新古典様式とは違った建築構造であると説明した。
アジュン助教授は、時計台の丸い、時計針がある部屋の端に戸棚があると明らかにし、「戸棚の上に1つづつの球があります。これらはトプハーネを象徴しているのかもしれません」と述べた。
ハック・アジュン助教授は時計台がいつまで動いていたかを知る人は見つけられなかったが、1950年代まで動いていた可能性があると述べた。
同氏はこの種の建物は重要視されなかったがとても重要であると述べ、「時計台は、時間の単位をもたらしました。以前、裁判官は仕事を始める時間と終わる時間を自分で決めていました。時計台が造られたことにより時間の概念と労働時間の概念が現れました。労働時間の概念の出現はひとつの革命です」と話した。
ハック・アジュン助教授は、時計台が162年間一度も修復されなかったと説明した。
■「首相もとても関心を持っている」
イスタンブル文化観光局長アフメト・エムレ・ビルギリも、時計台に関し、技術チームが必要な活動を行い保存の決定を下したと明らかにし、「プロジェクトは準備されています。後で修復が行われる予定です。修復は今年の終わりまでの完成を目標としています」と述べた。
ビルギリ局長は修復がイスタンブル2010年ヨーロッパ文化都市委員会の支援により実現されると明らかにした。
イスタンブル・モダン美術館運営委員会のオヤ・エジュザージュバシュ会長は、レジェプ・タイイプ・エルドアン首相もとても気に入り大いに関心を示したヌスレティイェ時計台の修復のため、長い間努力がなされてきたと説明した。エジュザージュバシュ会長は、文化観光省の承認により開始されるプロジェクトの枠組みで、時計台が修復されると述べ、「文化観光局、2010年ヨーロッパ文化都市委員会とイスタンブル県庁が年内に修復を完成させる予定です」と話した。
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( 翻訳者:釘田 遼香 )
( 記事ID:18496 )