逮捕のエルズィンジャン検事の捜査資料、イスタンブルのエルゲネコン担当検事へ
2010年02月19日付 Hurriyet 紙

エルズィンジャン県共和国検事長であるイルハン・ジハネルが逮捕され、この逮捕を指示した検事らの権限を裁判官・検察官高等委員会(HSYK)が剥奪したことで騒動を引き起こした捜査資料が、権限の剥奪についての決定がエルズルムに知らされる直前になって、イスタンブルに送られていたことが明らかになった。今後はエルゲネコン裁判を担当している特別権限検事らが捜査を進めることになる。第三軍司令部のサルドゥライ・ベルク大将の供述も、彼らエルゲネコン担当検事がとる。ジハネル氏の弁護士であるトゥルグト・カザン氏は、検事らを組織の手下だと非難した。

イルハン・ジハネル・エルズィンジャン県共和国検事長が逮捕された後、裁判官・検察官高等委員会によって権限を剥奪されたエルズレムのオスマン・シャナル共和国検事と三人の検事が進めた捜査資料の運命が、昨日(18日)明らかになった。今後は、イスタンブルのエルゲネコンの捜査官に書類がわたる。
権限を剥奪されたオスマン・シャナル主席検事は、ジハネル氏の逮捕のきっかけとなった捜査の一環で、第三軍司令部のサルドゥライ・ベルク大将に知らせを送り、2月26日に証言をする ように求めていた。資料がイスタンブルに送られ、ベルク将官の供述をとるという件も、エルゲネコン担当検事の仕事となった。エルゲネコン担当検事らは、「ベルク大将の供述が必要であれば我々がとる。資料を調べている。したがって、ベルク大将が2月26日までに証言しなければいけないわけではない」と述べた。

■ジハネル氏に逮捕の決定
エルズィンジャンのイルハン・ジハネル検事長は2月17日(水)の10時56分に「エルゲネコン・テロ組織への参加、公文書偽造、名誉棄損と脅迫」の罪で逮捕され、エルズレムムHタイプ刑務所に収監された。このようにしてトルコで初めて検事長が逮捕された。しかし、逮捕の決定は司法界に騒動を引き起こした。

■検事の権限が剥奪された
ジハネル氏の取り調べが続けられる最中の、朝の10時に裁判官・検察官高等委員会(HSYK)が緊急に集まった。裁判官・検察官高等委員会は、捜査で「越権行為」を行ったとしてオスマン・シャナル氏と3人の検事の「特別権限」を剥奪した。政府や一部の法律関係者から大きな反発を受けたこの決定は、12時30分に法務省に送られた。法務省はこれをエルズルムに知らせるはずだった。

■検事らへの知らせ
その前日の夕方、メディアに対して会見をした検事らは、自身に対するこのような決定が法務省からまだ知らされていないと述べた。

■家宅捜索に、「対応」請求

ジハネル氏の弁護士たちは、(エルズルム検察の)権限が剥奪されるや否や、首席検事の自宅や事務所で見つけられた書類やデータを調べる権利はないとし、これについての対応の決定のために裁判所に届けを出した。裁判所は、裁判官・検察官高等委員会の決定が自分たちに送られていないという理由でこの要求を棄却した。裁判官・検察官高等委員会のカーディル・オズベク副会長は、昨日(18日)これについて「委員会の決定は昨日(17日)の12時30分頃に行われた。すぐに法務省の事務局に送られた。事務局はファックスで関係各所に知らせなければならなかったが、知らせるのが遅くなったと連絡が来た、私にも分からない」と述べた。

■書類はイスタンブルに
権限を剥奪された検事らの代わりに裁判官・検察官高等委員会は新しく任命を行ったが、エルズルムの検事らは、書類をイスタンブルの検察庁に送った。現在、ジハネル首席検事、国家諜報機構(MİT) 地方局長、さらに軍警察司令官をはじめとした7人の逮捕者を含む10人に関する捜査における書類はイスタンブルにある。ついに、ゼケリヤ・オズ氏をも含む特別権限を持ったエルゲネコン担当検事らがこれらの書類を見ることになる。

■エンギン検事長:「書類は我々が持っている」
アイクト・ジェンギズ・エンギン共和国検事長は、逮捕されたエルズィンジャンのイルハン・ジハネル検事長に関する書類が昨日(18日)の夜届いたと述べた。アイクト・ジェンギズ・エンギン首席検事は、スルタン・アフメト地区のイスタンブル裁判所の事務所で新聞記者らのこの話題に関する質問に答える一方で次のように述べた。「朝、首席検事代理らもはここにいた。トゥラン(チョラクカドゥ)氏とオルジャイ(セチキン)氏だ。彼らは十分な数の検察官を任命するだろう。検事らと一緒に書類を調べ、調査し、決定をするだろう。この決定の後、更に説明をするだろう。書類は昨日(18日)の夜、我々のところに届いた」。

■トゥルグト・カザン弁護士:「書類は盗まれた」
ジハネル検事長の弁護士は、書類がイスタンブルのエルゲネコン担当検事に送られたことに関して次のように述べた。「私は昨日(18日)一日中エルズルムにいた。8人の弁護士の仲間と一緒に、新しく任命された検事長の代理人と面会した。請願書を提出した。議論をまとめた。彼らはこれを検討すると述べた。書類が盗まれたことは知らされていない。当然書類が下の机にあると思っていた。福検事長は我々に連絡をしてきた、残念ながら書類は盗まれたようだ。今、我々はこのような状態にあり、いる。法律を信じていると言う全ての人がこれがどのようなことであるか、「自分の陣営の検事だけが検事だ」というえ方を、世間にばらまいているのを、目の当たりにしている」。


■過激な検事への反論
つまり、組織の手先が検事をつとめ、そういうイデオロギー的な検事たちのためにシナリオがかかれた冒険話を、我々はみているのだ。我々の請願書はそこにある。我々の反対意見もここに送られてくるだろう。ここにきた検事たちは、捜査資料がなくなってしまったことは知らなかった。そのため、請願書はそこで止まってしまい、書類は道中である。オスマン・シャナル氏は、我々がそこにくることを知っており、1日前の夜に自身の権限がないことに関する我々からの抗議をうけ、そのことも知っていた。これは一種の罪であり、早急に法務大臣に訴えるつもりだ」。

■法務大臣:「事態を新聞で知った」
サードゥッラー・エルギン法務大臣は、エルズルムで権限を剥奪された検事らに裁判官・検察官高等委員会の決定が知らされるのが遅く、一方でジハネル氏の書類がイスタンブルのエルゲネコン捜査に送られたという疑惑に対し、「事態を新聞で知った。(エルズルムへの通知は)適切な時間内に送られた。私が知っていたという主張に対しては、なにか説明するにも値しないと思う」という回答をした。

【背景説明】教団捜査から、司法危機へ

エルズィンジャンのイルハン・ジハネル主席検事が、2007年11月にイスマイル・アー教団に対し捜査を開始した。イルハン・ジハネル主席検事の主張によれば、2007年7月に、法務省が、彼に対し、捜査を打ち切るように脅迫した。
2009年3月、エルズルムの特別権限検事オスマン・シャナルが、この捜査は自身の管轄であるとして、ジハネル主席検事から書類の提出を求めた。2009年6月、この対立に法務省が介入した。ジハネルに関し、15の案件で捜査を開始した。26年を求刑されたジハネル主席検事は、答弁で、「教団に対する捜査が原因で攻撃されている」と主張した。
2009年9月、チャタルムトで発見された手榴弾と武器にはじまり、エルゲネコン疑惑がエルズィンジャンに及んできた。
2009年12月に、国家諜報機構の地方局長と2名の職員が逮捕された。
2010年1月末、当時のエルズィンジャン連隊司令部隊長で、現在、エスキシェヒル連隊長であるレジェプ・ゲンジオールが逮捕された。
さらに、教団へ捜査を、エルゲネコン組織の命で行ったとの疑いで、ジハネル主席検事は逮捕された。事件は、これ以後、司法危機へと発展した。2月17日に、まず、エルズルムの特別権限検事の職がとかれた。つづいて、最高裁判所はこの決定を合法とした。政府は、すぐに、これに反発した。そして、裁判官・検察官高等委員会(HSYK)に関し、その職権をこえ、司法クーデターを行っていると非難した。同じころ、重罪裁判所は、(エルズィンジャンの)検事からでていた不当逮捕の訴えは却下された。昨日になると、裁判官・検察官高等委員会は、法務事務次官も参加した会議で、解任された特別権限検事にかわり、新たに3名が任命された。

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( 翻訳者:小松裕美子 )
( 記事ID:18510 )