イスタンブルで88歳で亡くなった風刺漫画化トゥルハン・セルチュクさんの告別式が、ジュムフリイェット新聞社社屋正面で執り行われた。
ジュムフリイェット新聞社社屋正面で行なわれたセルチュクさんの葬儀には、故人の妻ルハンさん、娘のアスルさんらに混じって、ジュムフリイェット紙の読者や次のような著名人らが参列した。
ゲンジョ・エルカル氏、タルク・アカン氏、エディプ・アクバイラム氏、ルトカイ・アズィズ氏、スムル・ヤヴルジュク氏、アリフ・サー氏、エシュベル・ヤームルデレリ氏、さらに共和人民党(CHP)イスタンブル代議員メフメト・セヴィゲン氏、トルコ変革運動(TDH)のムスタファ・サルギュル代表、そしてエルゲネコン訴訟問題の非勾留容疑者であるエミン・ギュルセス氏らが名を連ねた。
■ 賞賛の中での旅立ち
セルチュク氏に別れを告げた葬儀参列者は各々次のような弔辞を述べた。
エディップ・アクバイラム氏「トゥルハンさんは言葉が尽きた領域で漫画で、社会に希望と立ち上がる力を与えた。良き愛国者であり、また見習うべき革命家でもあった。」
ゲンジョ・エルカル氏「全人生をつうじて旧弊と圧力と人道的な目的のために奮闘した漫画家だった。」
ルトカイ・アズィズ氏「トゥルハン・セルチュク先生はトルコ共和国を代表する漫画家であるのみならず、全世界的な風刺漫画家でもありました。」
タルク・アカン氏はトルコ共和国がまたも惜しい才能を失ってしまったと述べ、「どれほど偉大だったか。セルチュク家への恩義はトルコ共和国も賄うことができない。セルチュクさんはトルコに多大な影響を与えたのです」と述べた。
スムル・ヤヴルジュック氏は「トゥルハン・セルチュクはわたしのヒーロー」と表現した。またエミン・ギュルセス氏は、セルチュク氏はトルコ国内のみならず、漫画界全体のお手本のような人だったと強調しつつ、「トルコは国内で相争っている。我々が2年間刑務を果たそうと、それは重要なことではない。(1980年)9月12日(クーデターの際)にも刑務所に入ったのだ。さらに悲惨な拷問もうけたのだ。社会の中でいま闘争が起きている。誰が誰ということはみんな知っているが。トルコ軍を壊滅させたらどうなるでしょう?ギリシャの異教徒にすらこんなことはできない」と話した。
ムスタファ・サルギュル議員はアブドゥルジャンバズ博物館の必要性に言及しつつ、この博物館の創立のために可能な限りのことをすると話した。
■ 安らかにお眠りください
ヒュリイェット新聞社のドアン・フズラン記者はセルチュクさんの葬儀で次のような弔辞を述べた。
「展覧会で生涯の作品を見て、トゥルハン・セルチュクは、非常に知識に溢れた人物であり、常に国の安寧と興隆のために働いていたことに気付かれるでしょう。彼の批判的な目線は、ポジティブな批判であったこともお気付きのことでしょう」と述べ、トゥルハン・セルチュクさんを愛するということは、彼の残した作品を忘れないことと、(彼の残したものを)実践するであると話した。
漫画家協会のメティン・ペケル会長も「作品と人生を通じて、圧力や虚言・不当な強奪、非合法な行為に対し決してゆずらなかった。安らかにお眠りください」と述べた。
ジュムフリイェット紙のアリ・シルメン記者は「イルハン・セルチュクとトゥルハン・セルチュクはジュムフリイェットの発展とともに育った重要な人物だ。トゥルハンは人生でふたつの異なる作品を書いた。ひとつはイラストを描く際に描いた平明な漫画。もうひとつも水のように澄んだ人生における平明な絵です」と話した。葬儀後、氏の亡骸が埋葬のためにネヴシェヒルのハジベクタシュ郡に向かう際、賛辞とともに見送られた。
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( 翻訳者:原田星来 )
( 記事ID:18684 )