パキスタンで囚われていたイラン人外交官、情報省によって救出
2010年03月31日付 Iran 紙
【政治部】「時のイマームの無名戦士たち」〔=情報省の諜報員のこと〕による複雑な諜報活動の結果、パキスタンで囚われの身となっていたイラン人外交官ヘシュマトッラー・アッタールザーデ氏が解放され、本国に帰還した。このイラン人外交官は1387年アーバーン月23日〔2008年11月13日〕、パキスタンのペシャーワルで、武装集団によって人質に取られていた。
約40日前には、イラン東部で活動していたテロ組織の首領アブドルマーレク・リーギーが、イラン情報省の見事な諜報活動によって逮捕されている。このような中、時のイマームの無名戦士たちによって、パキスタンの中心部においてイラン人人質が解放されたことは、アメリカやモサドの諜報システムを困惑させている。
パキスタン・メディアをはじめ、各メディアで大きな反響を呼んだイラン人外交官解放の報が流れた後、ヘイダル・モスレヒー情報相は記者団の前に姿を現し、パキスタン・ペシャーワルでの今回の救出劇の詳細について語った。
ホッジャトルエスラーム・ヴァルモスレミーンのモスレヒー情報相は記者会見の冒頭、地域諸国に警告を発しつつ、「アメリカやモサド、その他ヨーロッパ諸国の諜報システムは、ありもしない妄想を言い立てては地域に駐在しているが、彼らはこの地域に不安定以外の何物ももたらしてはいない」と強調した。
同相はさらに次のように続けた。「87年のアーバーン月に、パキスタンでイラン・イスラーム共和国の外交官ヘシュマトッラー・アッタールザーデが、モサドやアメリカの支援を受けた武装集団によって誘拐されるという、痛ましい事件が起きたのは、こうした流れの中でのことだった」。
モスレヒー情報相は「われわれはパキスタンに対して、同外交官の解放に向けた措置を取るよう要請してきた」と指摘した上で、「こうした国々〔※パキスタン以外のどの国を指しているのかは不明〕の諜報システムですら、地域に駐在している抑圧主義諸国やモサドの諜報システムに対抗するための〔有効な〕措置をとることができずにいる」と続け、さらに「〔イランの〕情報省は自らの任務を遂行すべく、この人物の解放へ向けた行動を開始した。そして情報省の兄弟たちによる複雑な諜報活動の結果、アッタールザーデはイスラームの祖国に無事帰還した」と言明した。
「アメリカやモサドの諜報システムは困惑している」
同相は、今回の複雑な作戦の詳細については適切な時期に公表するとし、「モサドやアメリカの諜報システムは今回の外交官解放劇に困惑している」と述べ、さらに「地域諸国がアメリカやモサドの諜報機関と同一歩調を取っていることは、誠に遺憾である」とした上で、「イラン・イスラーム共和国は大いなる力と能力をもって、こうした〔アメリカやイスラエルの〕諜報機関が企てる陰謀すべてに対峙し、これらの公安システムを出し抜く〔ことに成功している〕」と指摘した。
同相はまた、イランは地域でもきわめて強力な諜報力を誇っていると強調し、「この力はイランのためだけでなく、地域全体にとっても、有用かつ影響力のあるものである」と続けた。
情報相はさらに、「抑圧主義諸国は、地域諸国に兄弟殺しをもたらした」と指摘し、「その一方で〔本来は〕われわれの地域よりも欧米諸国の方が、宗教対立は激しいのである」と論じた。
情報相は続けて、イラン人外交官がどのようにパキスタンで誘拐されたのかについて、次のように説明した。「ヘシュマトッラー・アッタールザーデをペシャーワルで誘拐した組織は、アメリカやモサドの〔諜報〕システムと関係のある武装集団であった。彼らはさまざまな要求をしてきたが、イラン・イスラーム共和国は彼らの要求に断固として一切応えることなく、力強く複雑な諜報活動によって、アッタールザーデを解放し、イスラームの祖国に帰還させることに成功した」。
同相はその上で、「時のイマームの無名戦士たちの見事な活躍が、〔‥‥〕我が親愛なる人民にとって素晴らしい新年のお年玉となることを、われわれは希望している。神のご加護があれば、革命最高指導者〔=ハーメネイー〕と人民、そして体制責任者たちの善き祈りによって、今後も偉大なる成功がわれわれにもたらされるだろう」と語った。
〔後略〕
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( 翻訳者:斎藤正道 )
( 記事ID:18803 )