【社会部:キャターユーン・メスリー】「二人っ子政策」への異議と「子供未来計画」実施についての大統領発言から1週間弱、一部の政府当局者からは、大統領の発言は冗談半分であり、イランの人口増加〔抑制策〕にとって脅威にはならないとする見方があがっている。その一方で、大統領府戦略調査センターは国の人口政策について検討を続けている。
大統領がまず先週、西アゼルバイジャン州の市民を前に、新生児の預金口座に100万トマーン〔約10万円〕を振り込むとする「子供未来計画」の実施について発表した際、この計画は人口増加を奨励することになるとの見通しが一部から示された。
保健相はこれに対して、この計画は人口抑制策の脅威にはならないと発言したが、その数日後、マフムード・アフマディーネジャード大統領はチャンネル1のテレビ・インタビューのなかで、人口抑制策への異議を明言し、「多くの人が冗談だと思っているようだが、以前にもお話ししたように、私は二人っ子政策には反対だ。というのも、わが国には1億5000万人の人口に耐えうるだけの能力があるし、現在のわが国の能力は、ここ30~60年で大きく変化を遂げているからだ」と述べた。
大統領は、二人っ子政策は西洋の政策に他ならず、いまや彼らはそれを後悔して、自らのアイデンティティーと文化を守るために莫大な資金を費やす羽目に陥っていると指摘、「結果ははっきりとしているのに、なぜその〔西洋の辿った〕道を歩む必要があるのか?」と語った。
イランの家族政策
イランの人口抑制計画は1337年〔西暦1958年〕に始まり、1348年〔1969年〕からは成文化された形で、集中して続けられた。42年前からは、イランにおける同計画の最初の監督機関として、衛生家族計画局が当時の衛生省内に立ち上げられている。当時の〔年間の〕人口増加率は約3.1%であったが、1345年〔1966年〕から1355年〔1976年〕までの10年間でこの数字は約2.7%にまで減少している。イスラーム革命の勝利に続き、強要された戦争〔=イラン・イラク戦争〕が始まってからは、人口抑制計画は中断し、むしろ〔人口増へ向けた〕さまざまな奨励策が導入されたことで、戦争期の人口増加率は〔年間〕約2.4%~3.2%にまで上昇した。
戦争が1367年〔1988年〕の夏に終結した後、当時の計画予算庁、イラン統計センター、戸籍庁、及び保健省の各省庁の専門家らが国会の計画予算委員会に集まり、人口増加を調整するための統一的政策が採択された。その会議では、失業や教育スペースの不足、環境汚染、天然資源の破壊、移民の増加(特にアフガン人)などの問題が人口増加の帰結として指摘され、包括的な家族計画の実施が決定された。これによって、70年代半ば〔1996年頃〕から80年代半ば〔2006年頃〕にかけて、人口増加率は緩やかに減少し、1.4%、そして1.2%にまで下がった。
「人口は力をもたらす」
人口増加策はどのような方法で実行されるのか、「子供未来計画」での100万トマーンの給付以外に、人口増加に向けた別の政策が採られる予定なのかどうかについて、今のところ大統領からの発表はない。にもかかわらず、アフマディーネジャード大統領に近い政府関係者らは、こうした政策の実施に向けて意欲を示している。
セイイェド・モジタバー・サマレ=ハーシェミー大統領上級補佐官は、過去に間違った決定がなされたのであれば、それは是正されねばならないと発言し、「我々が衛生や教育を言い訳にして人口増加を妨げようとすることは、宗教的論理に合わない。なぜなら、高貴なるコーランの節によると、『日々の糧がないことを恐れて子どもを殺してはならない。我々があなたたちと彼らに日々の糧を与えよう』〔※〕とあるからだ。それゆえ、生まれて来る者は誰であれ、奉仕と祝福の源となりうるのである」と述べている。
〔※コーラン第6章151節「困窮するのを恐れて、あなたがたの子女を殺してはならない。われは、あなたがたもかれらをも養うものである」を引用したもの〕
大統領府戦略調査センターも、国の新たな人口計画について、同センターに設置されたタスクフォースが検討を行っているところだとする発表を行っている。
〔後略〕
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( 翻訳者:尾曲李香 )
( 記事ID:18932 )