チェティン・ドアン元将軍、再逮捕―バルヨズ・クーデター計画捜査
2010年04月23日付 Zaman 紙
逮捕状が出された第一軍司令部チェティン・ドアン元将軍は、昨日(22日)の昼ベシクタシュのイスタンブル裁判所に出頭し、身柄を引き渡した。
バルヨズというコード名のクーデター計画を準備した罪状で立件されたドアン元将軍が、再度逮捕されスィリヴリの拘置所に送られた。ドアン元将軍は、逮捕される前に裁判所の前で行った会見で、自身に帰せられた全ての罪状とクーデター計画を否定した。病気について(の問いかけ)には、スィリヴリにいる(拘留中の)友人らを放っておけず治療を受けなかったと述べた。「(軍の)ギュルハネ病院(GATA)について(自身の入院によって)疑いがもたれないように」と退院したことを明らかにした。バルヨズ捜査において以前逮捕されたドアン元将軍は、オクタイ・クバン裁判官によって釈放されていた。
チェティン・ドアン元将軍は、病気の治療のアドバイスを聞き入れなかったとし、友人らを放っておけないと説明した。ドアン元将軍は、「この話を引き出し、作り上げた人たちの頭に鉄槌が下るのを今に見るだろう」と述べた。健康状態はどうなのかとの問いに関しては次のように述べた。「昨日(22日)の血圧は18だった。しかし、ここで請求もでき、対面の面会があることを知った。組織を困難な状況に置くことはできなかった。私が退院した際に健康上の問題がないことをギュルハネ軍病院(GATA)が明らかにしたことで、この件でギュルハネ病院について疑いがもたれないようにと思い、いかなる訴えかけもしなかった」。
チェティン・ドアン元将軍は、(報告書作成の)若者が事情に通じている人物であると述べつつ、「彼も仮定の上で(机上演習)報告書を提出している。彼は、問題のバルヨズ計画が本当ならばこれは騒擾であるが、バルヨズ計画は今我々が扱っている問題自体ではない、と言っている。バルヨズ計画には私のサインも直筆署名も電子署名もない。(2002年) 12月2日に作り上げた筋書きは、トルコの最も困難な状況下で、「第1軍」が書面の計画を実行できるか否かという(想定上の)状況を語ったものだった。我々が試し、調査したのはこの問題だった。計画を実行できるか否かを調査したのだ」。
「通常業務外の問題」ということを聞いたと述べるドアン元将軍は、「その問題とは次のことだ、私はいかなる戦争の机上演習や授業についても今までリハーサルをしてこなかった。同僚らが真実を気軽に話すように、隠さないように、考えをはっきりと述べるようにと、これまでずっとこれを実行してきた」と述べた。チェティン・ドアン元将軍は、自身に対する決定が、イスタンブル第11重罪裁判所で読まれた後、逮捕されスィリヴリ拘置所に送られた。チェティン・ドアン元将軍は、バルヨズ捜査において2月26日に「脅しや暴力を使いトルコ共和国を転覆させようとした」との罪状で逮捕されていた。
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( 翻訳者:小松裕美子 )
( 記事ID:18950 )