82年憲法に暫定15条をもちこんだのは軍人たち―当時の関係者、証言
2010年04月27日付 Zaman 紙

1982年憲法作成に関与したアッバス・ギョクチェ元裁判官は、暫定15条はクーデター政権によって憲法に持ち込まれたと証言した。
1981年当時高等選挙委員会の委員であったギョクチェ氏は、「この条項は我々が議会で議論の末、提出したものではなかった。憲法を作成して委員会に提案したのち、再編纂され、国民投票にかけられた。国民の92%の賛成票によって承認された」と述べた。ギョクチェ氏は、今議会で議論されている憲法改正案のうち、司法に関連する3条項に反対の立場を取り、一方で他の条項はトルコの民主化にとって重要な一歩だとして評価している。ギョクチェ氏は、トルコもそろそろ自国にふさわしい民主的な憲法を作る必要があると強調する。

ギョクチェ氏は、議会で議論されている憲法改正案のうち、司法に関連する3条項に反対している。他の条項についてはトルコの民主化のために重要な一歩だとして評価している。トルコの民主化の妨げになってはならないということを強調するギョクチェ氏は、我々が過去になぜこれらの基準で憲法を作成しなかったのかについて次のように説明している。「今日1982年憲法が(民主化の)足かせとなっていると主張する者たちは、私よりも民主的だとは主張できない。これが一種の反動憲法であることは否定できないが、トルコでは当時混乱が長引いていた。さまざまな条件がそろって、憲法裁判所が政治的な資格を獲得し、当時の条件ではそれ以上民主的な状況は生み出されないことは分かっていた。高等裁判官委員会のそれに関わる憲法の文言が反民主的な内容であることも我々はわかっていたが、当時の状況はこれを必要としていた。それ以上のことができなかったのだ」。1982年憲法が困難の中で施行されたと説明したギョクチェ氏は、それが経たプロセスゆえに、この憲法が反民主的な内容を有することを知りながら作成されたこと、作成した憲法にできる限り民主的な条項を入れたとしている。

ギョクチェ氏は、改正案にある『HSYK(裁判官・警察官高等委員会)や憲法裁判所』の構造改革をめざす条項や、解党命令に政治的な意思が盛り込まれることを規定した改正を批判し、これらの以外の条項は基本的な権利や自由がいかなる形でも制限していないと述べた。ギョクチェ氏は、「もしも全政党が一堂に会し、相互理解に至るならばいいのに、そしてトルコをあらゆる面でより前進させられればいいのであるが。なぜならば今日のトルコはもはやヨーロッパに追いついている。そろそろトルコには自国にふさわしい民主憲法が求められる」と語った。

■ エルゲネコン裁判において麻袋と証拠がある
継続しているエルゲネコン裁判にも言及したギョクチェ元裁判官は、エルゲネコンを事実と捉えていない人たちに驚いていると述べている。エルゲネコン裁判を担当している多くの裁判官がいることを指摘するギョクチェ氏は、「これら裁判官の全てがお金で売られたというのか、全てが賄賂をつかんだというのか、全てがAKP(公正発展党)のメンバーだというのか。これが存在することを、バイカル氏を含めて承認しない者たちがいる。明らかに麻袋と証拠が見つかっている。ないことをどうやったら語れるというのか。かつての軍の大将である参謀総長を取り調べ、その者を逮捕させるなど、裁判官にとっても勇気がいることである。手元に何の証拠もなければ尋問などできまい」と言い切った。

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( 翻訳者:三上真人 )
( 記事ID:18976 )