メーデー、タクスィム広場にラフシャン・エジェヴィトが登場
2010年05月01日付 Milliyet 紙
民主左派人民党(DSHP)のラフシャン・エジェヴィット党首がタクスィム広場でのメーデー集会で、「もし夫がまだ生きていたら彼もここにいたはずです。大きな幸せを感じながら一緒に行進していたでしょう。彼の魂がここにいることを信じています。」と述べた。
ラフシャン・エジェヴィットDSHP党首は、夫で今は亡きビュレント・エジェヴィット氏の名前と写真入りの花輪を手に、トルコ労働組合連合のムスタファ・クムル会長も参加するトルコ労働組合の代表団と一緒にタクスィム広場にやってきた。
ここで新聞記者らにメーデーをタクスィム広場で祝っていることについての気持ちを尋ねられた党首は、「次のようにだけお話します。もし私の夫がまだ生きていたら彼もここにいたはずです。大きな幸せを感じながら一緒に行進していたでしょう。彼の魂が共にあることを信じています」と回答した。
ラフシャン・エジェヴィット党首の一行はその後、トルコ労働組合連合のデモ行進に参加し、シシュハーネまで歩いて行った。
■ケマル・チュルクレルの妻、サバハット・チュルクレル夫人
一方、トルコ革新労働組合連合(DISK)本部前に集合していたグループは、タクスィムでのメーデー祝賀へ参加するためにデモ行進を始めていた。
「知識人と労働者は手を取り合おう」と書かれたプラカードを先頭に、DISKのスレイマン・チェレビー会長、シシュリ区長ムスタファ・サルギュル氏や数名のアーティストらが続いた。デモに参加したDISK創設者故ケマル・チュルクレル氏の妻サバハット・チュルクレル夫人は、「本当に幸せです。ケマル・チュルクレルが1976年に行なったメーデーの集会が再び同じ場所で祝われるのですから」と語った。
とても興奮していると語ったチュルクレル夫人は「夫の墓参りに行きました。『会長』と呼びかけて、『さあ、あの場所へ一緒に行きましょう。あなたが見出したあの場所へ』と語りかけました」と話した。
■ウフク・ウラス議員
また一方でタクスィム広場へやってきた平和民主党(BDP)のイスタンブル選出ウフク・ウラス議員も新聞記者らに対し、失業問題や貧困をなくすため世界各地でカーニバルのような連帯があり、自分の政党(BDP)も現在その連帯の一翼を担っていると話した。
この問題で貢献のあった人々全員に感謝の意を表したウラス議員は、「わたしも法案を作成しましたが、その根底にあるのはただ一つ、労働者の勝利です。メーデーでは世界中でより人間らしい生活を守るためわれわれは集まるつもりです。非常に重要な一つのタブーがまだ過去のものになりました。今度は他のものの番です」と話した。
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( 翻訳者:原田星来 )
( 記事ID:19011 )