クルチダルオール、満票で党首選出―CHP党大会
2010年05月22日付 Milliyet 紙


CHP(共和人民党)第33回党大会で、イスタンブル選出のケマル・クルチダルオール議員が党首に選ばれた。

クルチダルオール氏は、アタテュルク・スポーツセンターで行われた党大会で、有効票1189票全てを獲得し、CHPの第7代党首になった。

党大会では、8票が無効票と看做された。

■投票しなかった4名
デニズ・バイカル前CHP党首と、アンカラ選出のネスリン・バイトク議員は、党大会会場に来なかったため、投票しなかった。イズミル選出のビュレント・バラタル議員は、事故のために、投票できなかったという。党大会が始まる際、心臓発作を起こした代表団の一人は、病院に担ぎ込まれたために、投票しなかった。

■バイカル氏、電話で祝福
デニズ・バイカル前CHP党首は、テレビで経過を追い、CHP第33回党大会後にケマル・クルチダルオール氏に電話をして祝福した。

■この席の難しさを知っています
CHPの第33回党大会で党首に選出されたケマル・クルチダルオール氏は、「私は、ムスタファ・ケマルの、イノニュの、ビュレント・エジェヴィトの、デニズ・バイカルの席に座ります。この席の難しさはわかっています。この席に座った人々は、人民のために働きました。自分自身のためにではありません。我々もそうします」と述べた。

クルチダルオール氏は、結果公開後に行われた感謝演説で、とても重大な仕事を引き受けたと認識していると述べた。

ケマル・クルチダルオール氏は、「私は、ムスタファ・ケマルの、イノニュの、ビュレント・エジェヴィトの、デニズ・バイカルの椅子に座ります。この椅子の難しさはわかっています。この椅子に座った人々は、人民のために働きました。自分自身のためにではありません。我々もそうします」と述べた。

クルチダルオール氏は、責務はまさに今始まったとし、以下のように話した。「いまや、闘争を全国津々浦々まで広げ、戦います。私に課せられた責任の一部はあなた方のものでもあります。共に闘い、共に行動を起こさなければなりません。政権闘争という競争において獅子奮迅するのはあなた方なのです。もしこの闘争を健全に成し遂げるなら、民衆とともに交わるなら、民衆の苦労を我々の骨身に沁み込ませることができるならば、解決することができない問題などない。私にあなた方が課したこの職務の責任を自覚するものとして、全ての人に感謝しています。敬意を表します」。クルチダルオール氏は、会場をあとにする際も質問に答えた。クルチダルオール氏は、難しい仕事を引き受けたとし、「努力いたします。私がではありません。我々が努力するのであります。我々がつくりましょう、我々が走りましょう。その走りにおいて我々が成功することを信じています。私の最も大きな願いは、CHPを政権の座に就かせることです。もはや、現代的規範の存在する、素晴らしい、平和な、みんながお腹いっぱい食べられる国を望んでいます。これは、市民の共通の要望です。私たちの仕事は、この要望を実現することです」と述べた。

クルチダルオール氏は、オンデル・サヴ氏とともにサヴ氏の公用車に乗って、会場をあとにした。

CHPは、第33回党大会における党首選出をもって、一日目の日程を完了した。明日は12時に集合を予定している党大会で、党議会と、高等規律委員会の委員達の選出が行われる予定である。


-略歴-
ケマル・クルチダルオール氏は、1948年12月17日、トゥンジェリ県ナージミイェ生まれ。

経済学と財政学の専門家であるクルチダルオール氏は、アンカラ経済学商学アカデミー(現ガーズィー大学経済行政学部)を終了した。クルチダルオール氏は、財務省では、会計検査官、歳入局室長と副局長、国民年金局局長、社会保険庁長官を歴任。クルチダルオール氏は、労働社会保障省では次官補を務めた。ハジェテペ大学では、講師として講義を行った。

イシュ銀行の取締役員も経験したクルチダルオール氏は、様々な新聞と雑誌に多くの論説を発表する傍ら、3冊の本も出版している。エコノミック・トレンド誌によって与えられる「今年の官僚」賞の受賞者であるクルチダルオール氏は、結婚し、3人の子の父である。

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( 翻訳者:能勢美紀 )
( 記事ID:19196 )