ガザでナクバ62周年式典開催
2010年05月16日付 al-Hayat 紙

■ ガザ:ナクバの日がパレスチナ人を一つに
■ 多数のデモ行進、帰還と統一を要求

2010年05月16日付『アル=ハヤート』(イギリス)HPアラブ世界面(東アラブ)

【ガザ:ファトヒー・サッバーフ(本紙)】

2007年半ばパレスチナで分裂状態が始まって以降、初めてファタハとハマースを含むすべてのパレスチナ諸派が集まり、ナクバ62周年の式典が行われた。

昨日(5月15日)の正午、生活のすべてが1分間完全に停止した。これは、パレスチナの人々が経験した最大の難民化計画、それを通じシオニストの軍隊が420のパレスチナの町や村の生活すべてを破壊し、70万人の人々がガザ地区や西岸、近隣諸国へと追放された事件を追悼するためのものである。このナクバ62周年追悼の開始を知らせる警笛が、昼の12時にパレスチナのさまざまな町で鳴らされた。西岸やガザ地区の主要都市中心部の通りでは住民や車両が1分間にわたって静止し、その後に各種のデモが行われ数万人の人々が参加した。

祖国や避難先で行われたそれらのデモのスローガンは、例年と同じく、追い出された家々への帰還の権利を固持し次世代に引き継ぐこと、そして、パレスチナ難民を帰化させようとする計画や個人的・社会的権利を放棄させようとする動き、つまり、問題の本質を骨抜きにするような事を全て拒否しようというものであった。

ガザ市西部の無名戦士公園には、各地からバスで、あるいは行進して来た何千人ものパレスチナ人たちが集い、ナクバ62周年の追悼式典に参加した。さまざまなデモ行進は無名戦士公園から1つになり、ガザ市西部の国連事務所に向かって出発した。この行進には初めてパレスチナ解放機構(PLO)の諸派がハマースやイスラーム聖戦と並んで参加し、集まった人々はパレスチナの旗を掲げた。

パレスチナの通りでは数年来見られなかった光景のなか、ファタハとハマース、そして人民戦線(PFLP)、民主戦線(DFLP)、イスラーム聖戦やその他の諸派の幹部が互いに腕を組み、ひとつになって国連事務所へと歩いたのである。

帰還の権利固持を表わすものとして、難民たちの多くは彼らの家の鍵、もしくは紙や木、金属などでできた鍵を持っていた。破壊された村や町の名が記されたプラカード、占領とその犯罪行為を糾弾した横断幕などを掲げる人々も多数いた。デモでは3メートルの大きさの鍵の模型が担がれ、そこには「絶対に我々は帰還する」と書かれていた。

(後略)

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( 翻訳者:鈴木啓之 )
( 記事ID:19204 )