7人兄弟姉妹に7つの異なる試験―猫の目・入試制度に翻弄される学生たち
2010年06月18日付 Zaman 紙
この20年間、教育システムと入試制度が「改革」の名のもとで、変えられてきた。特に1999年から現在に至るまでの10年間は毎年、何らかのシステムが新たに導入された。
1991年に、初めて受験生を出したストゥ家の七人兄弟も、このシステム変動に翻弄されてきた。彼らのエピソードはジグソーパズルゲームと化した教育システムと入試制度の悲劇を物語っている。
何百万人もの学生たちが、今日、大学に進学するために心血を注いでいる。三段階に分かれて行われる入学試験は受験生を非常に悩ませることになる。入試で出される質問、入試結果は、全ての受験生にとって驚きになりうるのだ。その意味では、トルコの学生たちは入試の際に「驚くこと」に慣れてしまったともいえるかもしれない。日々刻々と変えられるシステム変動も、(あまりにそれが頻繁なために)既に驚きには値しないレベルに達している。この20年間の間に、教育システムと入試制度はめまいがする程大幅に変化した。特に、1999年以降、受験生となったものたちは、前年度とは違うシステムに直面した。ストゥ家の人々がまさにそれである。今まで6人の兄姉たちが大学入試を経験しているフルカン・ストゥは、入試のために万全の準備を行った。彼自身は万全であるが試験、入試システムを万全とは言い難い。ジグソーパズルと化した入試システムに、受験生のほぼ全員が苦しめられてきた。入試システムを「遊牧民」という言葉で説明する人もいる。もちろん、それでもまだ学生たちが希望を失っているわけではないし、自身のためではないにせよ、兄弟や自分の子供のためにキチンとした(「定住の、地に足のついた」)システムが確立されることを願っている。
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教師以外は、新しいシステムを理解することなどできない
ミネ・ストゥ・ブルト(1981年生まれ)は、イスタンブル大学の教育学部を卒業し、現在は兄と同様、ある塾で教師としての職を得ている。二段階式システムで行われた入学試験を受けた最後の学生の一人だった(1998年実施)。ミネ・ストゥが高校生になった頃、学校では単位制度が廃止された。彼女は「もし、私が塾講師という道を選ばなければ、これほど詳細に試験システムを理解することは出来なかったでしょう」と語っている。
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問題数も直前になって変更され、2問増やされた
サライ・ストゥ(1982年生まれ)は、2000年に大学入試を受けた。統一試験の制度が導入されてから一年後のことである。この年、選考基準がなんなのかわからなかったので、大きな混乱が生じた。受験期間、非常に大きなストレスにさらされたと回想している。試験システムの変更のせいでおかしてしまったミスを今でも忘れられないでいる。「その前の年88問出題されていたから、私も最後のページの第88番までの問題を解いて、冊子を閉じてしまったんです。ところが、そのページの裏にあと2問、哲学の問題があったのです。私たちの受験年には90問出題されていたのでした」。問題数を間違えたにせよ、サライ・ストゥは第一希望のマルマラ大学のコミュニケーション学部に合格した。彼女自身のあとにも、4人の弟妹が入試を受けたが、それぞれの試験システムの変更を把握しきれなかったと述べている。
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システムが変更され、点数で均等比重へ
エルフィデ・ストゥも統一試験を受けて大学に入った一人である。2004年のことである。この年は、試験ではなく採点システムの変更が実施された。このため、獲得点数ではどの大学の合格ラインに当たるのか判別することが出来なかった。彼女自身は、ボアジチ大学の文学部に進学した。彼女が高校生の頃に、いくつかの大学の学部が、文系比重方式をやめ、理系・文系均等比重方式で学生を選抜し始めた。エルフィデもまた、このシステム変更により、均等比重試験を受けることになった。出題システムの変更もあり、家にある参考書はどれも役立てることが出来なかった。
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試験が終わるや、倒れんばかりに・・・
フリュヤ・ストゥ(1988年生まれ)、妹のルキヤと同じ年に受験した。フリュヤは、文系の学生だったので、新たなシステムも自身にはそれほど影響しなかったと語り、「勉強したことは、どもかくできました」と述べている。試験前にはそれほど新システムの導入が影響しないと思っていたが、終わってみると倒れんばかりの状態であった。最初の年は彼女も希望の大学には出願することができず、2007年にサフランボルの手工芸学部に進学した。
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現役の時には出願できず
ルキヤ・ストゥ(1989年生まれ)は、2006年に大学入試のための勉強を開始するも、その年の中ごろに新たなシステム変更が実施された。二段階試験になったのである。高校教育の中で、大学入試には出題されないだろうと重要視されなかった多くの単元が、試験科目に加えられた。ルキヤも大急ぎでこれらの単元を勉強した。しかし、最初の年は、どの程度自分が点数を獲得したのか、また、その点数でどの大学に入れるのかが分からなかったためにどの大学にも出願することが出来なかった。2007年に再び試験を受ける。試験のシステムをある程度把握した二年目は、ウルダー大学の教育学部に進学することが出来た。
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最終的にシステムがどうなっても、やるべきことをやるだけ
ストゥ家の大学入試のエピソードは、アイドゥン氏から始まり、5人の姉妹、最後の一人に弟のアフメト・フルカン・ストゥ(1992年生まれ)で終る。フルカンは、兄や姉たちとは全く違うシステムで大学入試を受験する。問題の数や、試験の数も異なり、問題のスタイルも違う。従って、兄姉の経験は彼には全く参考に出来ない。しかし彼は、「皆が通った道なので、問題はないです。結局優劣をつけるための試験であることに変わりはありませんし」と述べ、自信をうかがわせている。フルカンは、学期の半ばでシステムの変更を行う旨の告知がなされたとき、非常に憤慨したと明かす。しかし、システムばかりにとらわれていはいない。「最終的に入試システムがどうなっても、やるべきことをやるだけです」と語っている。
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( 翻訳者:沓澤実紗子 )
( 記事ID:19457 )