トルコ国軍に責任が問えない状況が政治家への批判を招く
2010年06月20日付 Zaman 紙
テロとの戦いは、政治的な意志と責任の問題である。しかし、トルコにおいては、かねてから異なる習慣がある。テロとの戦いにおいて、軍事的手法が幅を利かせてきた。トルコ軍は、この問題において主導権を共有するようなそぶりはみせなかった。政府が、テロを政治的な方法で解決に向かう動きを始めると、大きな障害に直面した。「民主的解決策」について語られているこの一年で起こったことは、この最も顕著な例である。この状態は、興味深いゆがみを更に目の前に提示している。テロとの戦いにおいて、トルコ軍は、唯一の責任者であるかのように主導権を行使しているにもかかわらず、政治的意志が批判の的となっている。戦没者の葬儀において軍人が英雄としてたたえる一方で、政治家は抗議にさらされている。退職した空軍少佐ムスタファ・ハジュムスタファオールラルによると、人々はトルコ軍に責任を問えないので、政府を標的にしている。テロとの戦いが、本来、政治的な問題であると述べるハジュムスタファオールラルは、「この問題は完全に政治家が担当すべきである。しかしトルコでは、習慣が異なる。テロ問題の責任はトルコ軍に属する。他には誰も口出しできない。しかし、問題のおかしな側面は以下である。最も小さな行動でさえも軍の責任は問われない。市民の心は燃えている。トルコ軍に責任を問えないため、政治家に矛先を向ける。トルコ軍が責任を取るべきである。」と述べた。ハジュムスタファオールラルは、軍内部の死亡事件に対しても異なる方法をとるべきであると述べた。「市民は、息子を失っている。疑問はある。しかし問題にできない。問題にすると、遺族年金を打ち切ると脅している。兵士は、背中から撃たれている。しかし自殺として報告をしている。疑問が残る死体には、異なる取り調べを行ない、責任を問うことが必要である。
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( 翻訳者:新井慧 )
( 記事ID:19466 )