2008年アクチュチュン襲撃の真相明らかに―PKK逮捕者の証言
2010年07月24日付 Milliyet 紙

アクチュチュン襲撃に参加したPKKメンバーのテロリストが自供し、アクチュチュン警備所に行なった襲撃について説明した。

2008年10月に17人の兵士が犠牲となったアクチュチュン襲撃の際、奇襲を計画したPKK系グループのメンバーで、襲撃の実行犯として逮捕されたフェスィフ・タシュの証言により、テロリストが国境をどのように通過したかが明らかとなった!

スター紙は、「ファルキン・ピロ」というコードネームを持つ、1987年生まれのビスミル出身のフェスィフ・タシュの、2009年8月26日にユクセコヴァ県共和国検察局によってとられた証言の記録を入手した。
テロリストのタシュは、兵士たちの榴弾砲や迫撃砲による攻撃に反撃をせず、ただ標的に向かって真っ直ぐ前進したと説明した。

■カヤ少将の言葉
この証言は、ゲディクテペでのエルドアン首相とバシュブー参謀総長への襲撃について説明した、バルヨズ行動計画の容疑者ギュルビュズ・カヤ少将の、「我々はテロリストの侵入に気づき、発砲した。彼らは反撃しなかったので羊飼いかと思った」という言葉を思い出させた。PKKのフェスィフ・タシュはアクチュチュン警備所に対し2008年10月3日に行われた2回目の襲撃への関与も認め、作戦行動に参加する者たちには計画については何も知らされず、ただ任務につくように言われたと説明した。

■3日でアクチュチュンに到着
フェスィフ・タシュは、「バホズ・エルダルがやって来て、ザーロスの指揮をとっていたアペ・ヒュセイン、レシト・トストゥム、ザホ・ザーロス、アルマンチ、エミネ・チュルク、ペルヴェル、オルハンという名の組織メンバーと合流して、計画を立て、皆一緒に行動を決定した。行動の第1の責任者はアペ・ヒュセインだったが、当人は参加しなかった。行動はレシト・ドストゥムが指揮した。3日で到着した…最初の日は行動について我々に説明はなかった。2日目はベゼレ(アクチュチュン)に行動を行うと話した。3日目には計画が実行され、場所が知らされた。この行動に約120人の組織メンバーが参加していた」と述べた。

■ヘロンを非常に恐れる
PKKのフェスィフ・タシュは検察局での証言で、テロリストたちが無人偵察機ヘロンからどのように身を隠していたかも説明した。

タシュ容疑者は、「ヘロンと呼ばれる飛行機もとても恐れられているが、音で気付きヘロンがやって来たときは特定の地点で静止して通りすぎるのを待っている。この偵察機は200平方メートルの地域を監視することができると考えられており、ヘロンが一定距離遠ざかると行動が実行される。また、ヘロンはイライラさせられる偵察機と思われている」と述べた。

■攻撃に反撃せず前進
テロリストのフェスィフはアクチュチュン襲撃(に関する暗号)が前もって解読されていたと述べ、次のように続けた。「ベリタン・イランルなどこの50人以外の者たちはというと、周囲の山峡や丘を確保した。通常なら日中の13時に行動に移ることが決定されたが、この行動は前の晩から読まれていた。22時15分ごろ侵入に気づかれた」
朝まで榴弾砲や迫撃砲、重火器で攻撃され、この攻撃によって組織のメンバー3人が負傷した。しかし我々は一切反撃せず標的に真っ直ぐ前進して侵入しようと努めた。

朝までに我々は自分たちの場所を確保した。朝になって兵士たちが攻撃をやめ、その後兵士の一団が警備所側からバイラクテペにやってきた。この我々の行動の元々の目的はバイラクテペを確保して武器を手に入れることだった。行動計画には兵士たちの誘拐も含まれていた。彼らは我々が夜侵入することに気づいたため、日中地雷の捜索を行った。この時これらの兵士は仲間たちの所までやってきた。最初の衝突はこの地雷捜索中の兵士たちとの間で起こった。ともかくその地域は丘に近かった」

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:永山明子 )
( 記事ID:19766 )