バレーボール女子リーグは、「バヤン」リーグかカドゥン「リーグ」か?―トルコ語論争
2010年08月13日付 Radikal 紙
スポーツ界で、バヤン(婦人)の代わりにカドゥン(女性)という呼称を使う傾向が、最近広がっているが、それと同時に議論も巻き起こっている。
バスケットボール連盟が3月に行った決定により、「バヤン」リーグの代わりに「カドゥン」リーグという表現を使うと発表した後、バレーボール協会からは、「リーグの登録名称で、「バヤン」という表現が使われている。「バヤン」リーグと表現され続けるべきである。」という発言がなされた。これにより、この件に関する議論が再び巻き起こった。専門家の多くは、「カデゥン」の方がより適切という点で一致しているが、青少年スポーツ総局のユヌス・アクギュル局長は、各協会の決定に敬意を表すと述べた。
トルコ言語協会(TDK)の会長シュキュル・ハールク・アカルン教授は、男性のリーグに関し、「バイ(男性)」リーグ”、ナショナルチームに関し「バイ(男性)」ナショナルチームと言われることはないということを強調し、「もちろん適切なのは「カドゥン」リーグである。2年間、テレビや連盟が「カドゥン」という言葉を使い続ければ、「バヤン」という表現の方が耳慣れないものになるだろう。」と述べた。「バイ」と「バヤン」の呼称は、主に呼びかけの際に姓の前につける敬語として造語されたが、これ以外の使い方はあまり広がっていないとアカルン氏は述べ、以下のように続けた。
「バヤンという言葉は、時に「カドゥン」という言葉に対応するものとして使われてきた。バヤン100mレース、バヤンバスケットボールチーム”言うように、主にスポーツの場でよく使われるようになり、間違いはそこから始まった。
トルコ語起源のカドゥンという言葉のもともとの意味は、“成人した女性”である。この言葉には全く侮辱の意味はない。しかい、母性、あるいは、家庭を守る存在」、「女中”、掃除のおばさん」のような意味でも使われるようになっため、「バヤン」リーグ、「バヤン」円盤投げ、「バヤン」バスケットボールチームといった使い方も普及するようになった。」
言語では、常に、「正しさ」ではなく、「使用頻度」が決定要素になると述べるアカルン氏は、次のように話しをまとめた。「このため、一部の人は「カドゥン」リーグ、「カドゥン」バスケットボールチームという表現を奇妙に感じるのだろう。慣れのためである。2年間テレビやラジオ、協会がカドゥンという表現を使い続け、新聞や雑誌でもカドゥンを使ったなら、すぐにバヤンという表現の方が奇妙に感じられるようになる。これも、言語の重要な特徴なのだ。」
言語協会の会長ゼブギ・オゼル氏もカドゥンという表現がより適切であると述べている。オゼル氏は、「トルコの一部の人は、スポーツ選手がカドゥンと呼ばれることに違和感を感じるだろう。バヤンは、ハヌムという言葉のように、確かに丁寧な表現として使われている。しかし、「エルケッキ(男性、カドゥンに対応)」リーグという表現がなされているにもかかわらず、「カドゥン」リーグとはなぜ言わないのか。「バイ」リーグ”といわれることがないのなら、「バヤン」リーグとも言われるべきではない。「バヤン」という表現は、私にはすこし保守的に聞こえる。」と述べた。
■カラハン教授―「カドゥン」と「バヤン」の普及度はほぼ同じ
ガーズィー大学トルコ語トルコ文学教育学専攻のレイラ・カラハン教授も、言語においては使用頻度が基礎になっており、ひとつの言語に含まれる単語に関し間違いかどうかは議論の対象にはならないと述べる。
カラハン氏は、また「バヤンとカドゥンの普及度はほぼ同じだ。カドゥンリーグ”が奇妙ということはない。もちろんOKだ。使われ始めて少したてばこの分野で普及していくだろう。表現が広がれば広がるほど、粗野に聞こえるつかわれ方はなくなるだろう。ひとつの単語にどんな意味が与えられても、その意味は定着していく」と説明をした。
■アクギュル局長;協会の選択を尊重する
青少年スポーツ総局のユヌス・アクギュル局長は、この問題について考えたこともないとし、「どちらの表現も認める。私は言語学者ではない。私にとってはどちらも同じだ。協会の好きにしてもらっていい」と述べた。
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( 翻訳者:山崎有希 )
( 記事ID:19933 )