タイイプ・エルドアン首相は「頂点にいるときに自分でその地位からおりなければ、だれかがやってきてひきずりおろす」と述べた。
あるテレビ番組に出演したエルドアン首相は、憲法における真の大きな改正を2011年の選挙後に行うことを述べた。エルドアン首相は以下のように続けた。「トルコは次の ことに目を向ける必要である。すなわち、ある地位にあるものは、まるで未来永劫その地位にあるようにその座にいるべきではない。時には策略で、また時には民主的なルールによって、誰かがやってきて、あなたを引きずり下ろす。しかし頂点にいるときに身を引く方が美しい。」
エルドアン首相は、国民投票は、(AKP政権への)信任投票ではないと述べ、「トルコは、予定通りに選挙を行う、という習慣を学ぶべきだ。我々は解散総選挙というやり方を拭いさり、投げすてるべきだ。決してこれを信任投票として特徴付けないようにと、みなさんにも述べてきた。これは国政の問題なのだ」と述べた。
■「詐欺師」発言を訴える
「この国の首相に対し、詐欺師だと言ったことを無礼だと思っている。彼に訴えるつもりだ」と述べたエルドアン首相は、退職についても、「「一般労働」退職者として、仕事をやめました。私が「一般労働」退職者だったら何になり、そうでなかったら何だというのか?」と話した。
トルコの発展とともにテロも深刻化してきたと述べるエルドアン首相は以下のように話した。「誤りはなかったのか。いいや、あった。このテーマについて意見のある人には面会を申し込んでもらいたい、話そうじゃないか。」
■以下は、エルドアン首相の他の談話の段落の冒頭である。
これは国家の憲法である。野党は力づくで憲法改正国民投票を公正発展党のプロジェクトだとしている。 これは公正発展党のプロジェクトではない。これは個人のプロジェクトではない。実のところ、この改正は公正発展党への解党裁判事件以前にはじまっていた改憲準備の続きである。我々が願ったことは、これを最大野党のCHP、そして(他の)野党と共同して、議会を通過させることだった。しかし、CHPは、これまでの準備の経緯を無視し、断った。 他の野党は「(AKPの人は)コーヒーを飲みにくるだけで、話うし会いはしません」といった。そういう形で 断られた。とにかくどんな時も歩み寄ろうとはしなかった。 しかたなく、我々がしたことは、次に各NGOと話し合うことだった。そして、我々が改憲準備にとりかかる以前に、憲法準備を行った機構、すなわち弁護士組合、トルコ実業家教会、トルコ商工会議所連合、共和人民党など、それら全ての政党のこの改憲準備を目の前に並べて比べてみた。(AKPの)担当者たちはこれらについて研究をした。この研究をうけて、我々も草案を準備した。それから目の前にあるものは、そもそも、1つの草案である。そしてこの研究の結果である。
そしてどうなったか?草案は議会へ提出された。14日14夜、議会において議論され、議会から次は今にいたった。この状況に誰が反対するだろうか。最大野党が反対した。憲法裁判所へと行った。憲法裁判所もよく調べたあと、何と言ったか?「ここに憲法に違反するものはない。これらすべてが合法だ」と。今我々は真の憲法の所有者である国民に問うている。なぜなら国民が、自分たちにも聞いてくれ、といっているのだ。「最後の決定は自分たちがする、私が決める」と国民が言っているのだ。決定の権利は国民のものだ。
■席を離れることを学ぶべきだ
我々は党の創設時に、政党の規則をこのように準備した。1人の国会議員が3回連続して国会議員をつとめたあと4度目は立候補せず、間をおき、それから後もう一度望むならば候補となると。党首についても選挙は5年に1回なので、5年間、党首を連続しておこなうことができる。しかし、その後は、党首を連続しないことが必要である。これは私の政党の規則に決まっていることだ。
政党規則の求めることを、私はただ述べている。2011年の件はここからきている。その席に座っているひとは、二度と席をたたないかのように座り続けるべきではない。さるべき時がきたら、その場を離れられるべきである。ほらよくあるでしょう。もし自分で、あれやこれやと、この席をたつということを示しておかなければ、時には策略で、時には民主的規則にそって、誰かがやってきて、そこから、あなたをひきずりおろそうとする。しかし頂点の時ここから引くことがより良いことであり、ふさわしいことだ。政治では、必ずしも、今いる職にないと何もできないということはない。信じる理想や、所属している政党を背後から支えを与えることもできる。
■メンデレスの写真を忘れることができない
私は5月27日の60年クーデターの時、7、8歳の子供だった。父は民主党支持者だった。その日のことは父から聞いたり・・・、当時も、死刑台へ送られるのを新聞、雑誌の・・・記憶違いでなければハヤット雑誌にある表紙を決して忘れることはない。
腕をうしろから縛られた白いワイシャツで故メンデレスは死刑台へと送られている。今も、なお、あの姿は、目の前に浮かぶ。それは私が政治活動のなかで、忘れることのできない場面の一つである。その後故オザルの身にもふりかかった。オザル首相も屋内体育館での演説の際、撃たれたが弾丸は彼に当たらなかった。神は彼を守った、そしてそこで彼がつかった「神が与えた命を誰も奪えない」という表現は、誰かをかばう言葉だ。政治家の運命においてこれに似た状況がある。これも、信じることの代償だと思えばこそ、政治家という仕事が背負ういかなる危険も自分を挫折させたりはしない。」
■誰もクーデターを合法としませんように
我々が、一層の民主主義、自由、基本的権利という時、誰もこれから不快にならないことが必要だ。逆に、皆でこれに飛びつこうじゃないか。そしてもし文民政治を欲するなら、民主的な議会政治を望んでいるなら、一緒にこれに責任を持とうではないか。軍は万人のための軍である。軍に対し、誰かがたちあがって、なにか変ったことをしようなどということはありえない。しかし軍には、憲法上で定められた1つの職務がある。この職務の範囲内で軍は行動すべきである。このようにプロセスを続けるべきである。これは全ての軍関係者に適応される。この理解に従うべきと私は考えている。
政治も、この点においてそろそろ成熟することが必要である。政治も成熟するまでには、生みの苦しみを味わっている。解党に関する裁判がひかられたとき、残念ながら最大野党や野党は味方をしてくれなかった。まったく反対に「これまでのつけを払え」と言い始めた。一体何のつけを払うというのだ。私はそこで悲しんだ。つまり 、政治はトルコではまだ成熟していない。政党や法人が閉鎖されるというような非民主的なことがあってはならないと望んでいるのに。タイイプ・エルドアンがなにか罪でもおかし、そのつけでも払えというのか。しかしこれは、思想や考えに対する罪ではない。「思想や考えに対し、それを犯罪だということ」、これもわたしは間違いだと思う。
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■我々は物乞いではない
我々がIMFとの合意に関し、疑問点を表明しはじまると、(野党は)合意をさらに遅らせないようにといいはじめた。我々は決してIMFの門における物乞いではない。我々は何よりもIMFのパートナーである。
■接点すらなし
ほとんど3年になる、我々はIMFとは協議していない。だからどうだというのか。世界はグローバル経済危機を体験した、我々もだ。しかし私は「我々をギリギリ通過するだろう」といった。ご存じでしょう、かすみもしなかった。この番組で、何カ月も前、2、3カ月以内に、2、3%失業率が下がるといいました。政権出発点の失業率に、我々が引き継いた時の失業率にもどす、といいました。そして、失業率は11%に低下した。さらに低下することを信じている。
■オバマ米大統領は私を「やあ、兄弟」と呼ぶ
中においても、外においてでもある。アップダウンはある。残念なことに、アメリカ・メディアは時々我々トルコメディアから刺激を受けている。トルコ・メディアは、外でなにかあると、それはもう夢中になる。これは反トルコ的だ!トルコ攻撃だ!と、そこからなにかひきだそうと努力する。我々はこの点をとても不愉快に思っている。アメリカ合衆国とトルコの関係はわたしの意見ではこれまでで一番いい関係にある。もちろん、我々の間にはいくつかの考えの違いが(ある 、しかし)、いかなる時もアメリカ合衆国とトルコの間において、ブッシュ大統領政権時にもオバマ大統領政権時にもこれほどのことはなかった。我々の間で話をするとき、非常に親しみをこめた表現を使う。私に「やあ、兄弟」とオバマがいうくらいだ。私もこの種の表現を使う。
■フィナンシャル・タイムズの主張
そうした行動が、トルコの国際的なイメージにどれだけ被害を及ぼすか、まったく考えないほど、政治の世界には悪意にみちた敵対行為が存在している。オバマ大統領との関係、トルコとアメリカの関係において、私たちは非常によい状態にあり、問題はない。武器売買のいくつかの問題は、それは各国の内政の問題である。アメリカ議会は違う解釈をするかもしれないし、違った評価をするかもしれない。同じ形で我々の議会がある。我々もいくつかの判断や、会議・議会での決定を、理由を示して延期する。これらは普通のことである。この点においても平常心でいることが必要である。実際、トルコは、この種の問題に関し、もはや、多くを乗り越えることができるようになっている。トルコは、無人偵察機を自分達で生産する状況になっている。攻撃用ヘリコプターも生産できる。エアーバス社と共同でおこなった開発により、これを生産する状況になっている。トルコはついに、その歴史、地理、未来をこの手にしている。そのような地点にたっている。現在、 60カ国とビザなしで交流を行っていた。そのうち約25カ国にトルコ航空は航路を整えた。この状況になった。(そのようなときに、)これは本当に大きな 罪のなすりつけである。このようなところまで来ているのだ。。隣国のほぼ全てとの関係はとても良い。ロシアとの関係を考えてみてほしい。10年前のロシア・トルコ関係と、今のロシア・トルコ関係を考えてみてほしい。我々は昨年350億ドルまで貿易額が達した。まあ、この経済危機のために2009年には235億ドルになったが。今年は、再び上ってきている。とても良い数字に達するだろう。トルコはもはや信頼できる国である。トルコには安定があり、信頼がある。安定と信頼のある国は魅力の中心であり惹きつけられる場所である。そして魅力的な場所になるとここへ国際資本が、グローバル企業がやって来るだろう。実際、やってきているのだ。私がこれらを誇りに思っている。
■軸がずれることはない
キツネはまにあわなかったブドウのことは「まだ熟れていない」といい、猫をもらえなかった肝臓を「汚い」という。軸がずれることはない。水は、その川床で流れ始めた。今や全ての谷に水が流れている。しかし、このことで不快になる人がいる。なぜならトルコが強くなっているからだ。とても大きな力を勝ち取った。我々のトルコ協力開発機構という組織があるのをご存じでしょう。これは故オザル首相の時代に設立された。我々の時代までちゃんとした投資はできなかった。さあ、民族主義者行動党のことを考えてください。連中は、つねに、トルコの産業界、もしくはトルコに近い中央アジア、そことなんとかといっている。しかし3年半トルコ協力開発機構は民族主義者行動党のバフチェ党首の配下にあり、機能していた。しかし、トルコ協力開発機構の投資がその時代にその地域でどれほどあったのだろうか。でてきて、言ってみればいい。
バルカンへは、すぐそこから国境から出てバルカンに入った。私は首相時代にモンゴルへ行った。そこではオルホン碑文がある場所へ行った。碑文をその場で見た。それは46キロメートルの道のりで、その道は、トルコ協力開発機構がつくったのだ。かつて碑文をたてた。現在そこには美術館がある。(中央アジアの)トルコ系諸共和国のすべてにおいてトルコ協力開発機構の投資がある。
バルカン半島においてもトルコ協力開発機構の取り組みが見られる。ボスニアに行ってみなさい。そこではオスマン帝国から残っている芸術をトルコ協力開発機構が修復しているのを目にする。マケドニアでもそれを目にする。誰が歴史に責任をもつのか? 我々こそが責任をもつのだ。アフリカでもごらんなさい。トルコ協力開発機構によって、現地に学校、水、道を我々はもたらしている。我々は先祖がやったのと同じように、子孫として、各地になにかをもたらそう。それぞれの場所で記憶されよう。現在、アフガニスタンにトルコ協力開発機構がある。アフガニスタンで病院や道路、井戸によって、讃えられている。ほら、「アドリア海から中国万里の長城へ」というのは、もう言葉のうえだけでないのだ。
■高等軍事会議での、任命危機
今日までは、このような事を全く必要としなかった。7年半、こんなことはなかった。ここで任命される人とされない人も、全部軍人だ。どうしてもこの人に、というようなことはない。とはいえ、「通例どおり」といわれては、あまり望ましいものには思えない。なぜなら軍は慣例では指揮されえない、法によって管理され、もちろん、その法律があるからだ。トルコ国軍の法 がある。その上で、必要なら慣例にも従えばいい。しかし、基礎は法律である。この法律が、国防大臣と、首相、大統領に意見を述べる権利を定めている。ここにおいても使われたのは、この規定である。
■8月17日の地震
1999年8月17日の地震はよく知られている... 私も自分でその地域を歩いた。刑務所から出て間もなくのことだった。とても短い期間で回復したと言えば間違いになる。少し時間はかかったが、例えばサカルヤは美しい街となった。新しいサカルヤを作った。今、 そこで病院、学校の建設は終わった。住宅建設も終わった。街の中心はより異なった状況になった。街の中心に大きな病院を建設している。もちろん赤月社は本当にこの出来事後、真剣にとりくみ、更生した。この出来事は我々に新しい赤月社を手にいれさせた。それから赤月社は、国内のみならず、国外でも名をあげる団体となった。ギョクチュクで、コジャエリでの新しい街計画がつくられた。街は美しくなった。
私は死んだ人々に神の御加護を祈りたい。家族を失った方には忍耐を祈念する。怪我をした人々に、神が忍耐と回復を与えてくださるようにと祈ります。ここからもちろん教訓を得ることが必要である。残念ながら、今でも不法な家の建築は続いている。地殻の調査を行っていていない場所で家が建てられている。ご存じのように、谷の脇に家々が建てられている。地盤が弱く、水のつく場所に家々は建てられている。地殻調査が行われない場所で家が建てられれば、そのつけはとても深刻になる。
イスタンブルで今後起こるであろう地震は我々にひどい痛手となるだろう。このため政府として我々は常に説明している。我々は街を建設している。来なさい、今いるところを壊しましょう、残してきた残土の代金を、新しい家の前払金として受け入れよう、と。さあ、ひっこそう、と。人々に更に近代的な場所を示している。しかし行こうとしない。しかしながら、もし行けばとても幸せになるだろうに。しかしそうはしない。民衆は、この点においてなぜか、抵抗を見せる。家は傾き、ひびが入っている、それにもかかわらず家から離れない。このままでは、請求書は我々あてとなる。
全ての政党が動員することが必要である。地震の恐怖にさらされる全地域で、さあ、全党をあげて、働きかけをしよう。この種の家に住んでいる人に協力してもらいたい。我々は素早く何年かの間に新しい家を建てられる、その力がある。我々は7年間でトルコで43万の家を建てた。この33万をすでに所有者に引き渡した。(地震は近いと)すべての専門家たちが警告しているのだ。さあ、(各政党の人よ)、ここへきて、少なくてもこの件で協力しようではないか。
■私は「一般労働」退職者である
私は「一般労働」退職者として離職した。私の仲間が調査したようだ。私は自分が、「一般労働」退職者となったことを知っている。なんの問題もない。私が、「一般労働」退職者だったなら何になるだろうか。私が公務員退職者になったら何になるか。結局退職者である点でかわりはない。
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( 翻訳者:榎本 有紗 )
( 記事ID:19987 )