ディヤルバクルの刑務所、博物館化構想
2010年09月05日付 Yeni Safak 紙
ディヤルバクルの市民団体の代表者たちは、レジェプ・タイイプ・エルドアン首相がディヤルバクルEタイプ刑務所の「博物館化構想」に前向きな姿勢を見せていることを明らかにした。ディヤルバクルのエミン・アクタル弁護士会会長は、エルドアン首相が昨日の駅前広場での集会で、ディヤルバクル刑務所を取り壊すと話していたことに言及した。
アクタル氏は、ディヤルバクル刑務所の取り壊しは、9月12日(1980年9月12日クーデター)後におこった残虐行為の記憶を消し去ることだと話し、次のように続けた。
「このことをエルドアン首相に個人的意見という形で申し上げた。『ディヤルバクル刑務所を取り壊すことは、我々の記憶が消されるということです』と伝えた。9月12日に起こった残虐行為を次の世代に伝えなければならない。彼らがそのクーデターがいかにひどいものであったかを認識するという点でも重要であり、このため刑務所の博物館化に意味はあると言った。首相はこうした要請に対し検討するつもりであると答えた」
南東部商工業者協会のシャーイスマイル・ベディルハンオール会長は、「9月12日に軍部が介入した後、ディヤルバクルEタイプ刑務所で起こった人権侵害がすでに世界中に知れ渡っており、タイムズ紙の「2008年世界の刑務所ワースト10」の中にディヤルバクル刑務所も入っていた。この出来事がいかに酷かったかを、この刑務所を博物館にすることで次の世代に伝えることができる」と述べた。
ディヤルバクル商工会議所のガリプ・エンサーリオール会頭も、「博物館化することでこの記憶の呪縛から解き放たれなければならない。過去の悲劇が今日の素晴らしい計画で修正されることは、その記憶から解き放たれることであるが、そこで起こされた悲劇をトルコは忘れてはならない」と語った。
■ここでは53人が亡くなった
参謀本部の記録によると、エルドアン首相が取り壊しを発表したディヤルバクル刑務所で53人が亡くなった。拷問を受けたとされるバイラム・ボズイェル氏は自身の本の中で、第5囚人房で起こったことを次のように語った。
「“ディスコ”という拷問部屋で丸裸のパレスチナ人がつり手に吊るされ、性器に電流が流され、棒で死ぬまで殴られ、足裏を打たれた。囚人たちは下水の穴で泳がされた。娯楽のために生きた蛙や、ねずみの糞、嘔吐物を食べさせられた。尿を飲まされた者、耐え切れず自殺する者・・・・・・・」
■首相は国家としての哀悼の意を伝えた。
ディヤルバクルで市民団体は、エルドアン首相が駅前広場で行った演説を、満足に思っているとした。ディヤルバクルの市民団体の見解は以下の通り。
・ディヤルバクル・弁護士会メフメト・エミン・アクタル会長:首相がディヤルバクルで行った演説に満足した。新しい憲法の提案が期待できるような、我々の要求に沿った内容だった。
・ディヤルバクル商工業者協会アラッディン・コルクタータ会長:首相は、アペー・ムーサ、アフメト・カヤ、シヴァン・ペルヴェルといった犠牲者の名を上げ、端的にいえば、惨劇が追体験されること、惨劇は、我々と同じ精神構造(メンタリティー)を持つ人間により引き起こされたということを伝えようとした。このような形で、重要なメッセージを伝えた。
・公務員労働組合ディヤルバクル代表ヤーシン・ユルドゥズ:そもそもこの演説は必要だったのだ。おそらく、地域ごとに期待は異なるのだろう。
・教職員労働組合トゥルカン・ギュルレル会頭:そもそも政府が行うべき仕事であると我々が話してきた全てのことに平等なスタンスで対応し、それらを平等に扱った結果、このようになったと考えている。
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( 翻訳者:百合野愛 )
( 記事ID:20102 )