イスタンブル・トプハーネの画廊で襲撃事件―背景は「?」
2010年09月22日付 Hurriyet 紙

イスタンブル・トプハーネのボアズケセン通りで、一昨日晩5つのアートギャラリーが襲撃された。襲撃に加わった7名は逮捕されたが、その後、検察によって釈放された。ギャラリーの所有者は、そのグループが「組織的」であったことを、以前からここを出るように脅しをかけられていたと語る一方で、襲撃実行犯たちも、屋外での飲酒、騒々しかったことを理由として述べている。

トプハーネにギャラリーがあるデルヤ・デミルさん、シネム・ヨルクさん、ナズム・ヒクメット・リチャード・ディクバシュ氏、イェシム・テュランル・ヌラン・テルジオール氏、シルビア・コウバリさん、アズラ・テュズンオールさんは昨日(9月22日)記者会見を開いた。そこで、ビルギ大学教員メンバーとしてナズム・ヒクメット・リチャード・ディクバシュ氏が読んだ声明で、トプハーネで行われたギャラリーのオープンに40,50人のグループが「組織的」な襲撃を行なったことを、展示会の開幕に参加した人々がいやがらせを受けたことが語られた。「襲撃では、催涙ガス、ナイフ、壊れた瓶、鉄の棒、こん棒が使われました。ポーランド、オランダ、ドイツ、イギリス国籍の芸術愛好家の方々が病院に運ばれました」と述べられた。

■口論はなく、襲撃がある

ナズム・ヒクメット・リチャード・ディクバシュ氏は、その後で、新聞記者からの質問に答えた。多くの人が事件について言及する際、お酒の話題がよく上がったことに関して、「私たちはお酒が飲まれたということをあまり取り上げませんでした。皆さんご存知のように、世界中の至る所で展示会やギャラリーが開かれる時は、お酒が飲まれるからです。そこにいる多くの芸術愛好家がお酒を飲んだとしても、これは大事を引き起こす行動ではありません。実は、この件がお酒と関係しているとは思っていません。それは、襲撃を行なった者はスローガンとして『来た場所に入れ、中へ入れ』と言っていたからです。直接的な襲撃であって、口論はありませんでした」と語った。襲撃を受けたギャラリー・アウトレットのオーナーであるアズラ・テュズンオールさんは、「トプハーネでの賃料値上りを、私たちがこの地区にはいったせいにしています。ここでの状況を、スルクレで生じた都市化に例えたため、彼らが不快な思いをしていたのではないかと考えています。しかし、彼らは知らなかったことですが、私たちも借家人であり、ガラタポート計画の一環ではないのです。この事件は地区の圧力が節度を越えたことを示しています」と話した。

■以前も脅しを受けた

全証言者は、襲撃は、たばこを禁じたことによって人々が道にあふれたこととは関係ないと強調した。ジェザーイル・レストランとタバコ倉庫ギャラリーのオーナーであるオスマン・カヴァラ氏は、以前も脅しを受けていた事、警察に被害を相談した事、しかしながら特別な警備を要求しなかった事を明らかにした。カヴァラ氏とディクバシュ氏は、ギャラリーは再び開かれると述べた際、芸術はこのような状況を批判し、検証するために存在していると語った。

■釈放された

逮捕された7人は取り調べの後、ベイオール裁判所に送検された。ラマザン・チフチ、オスマン・カヤ、フェルハト・インジ、メフメト・ジェミル・エロクヤル、アドナン・カラバシュ、エディプ・サールック、エユップ・ギュゼルの容疑者らは、検事の取り調べの後釈放された。

■道が狭いため議論が起き、襲撃が突発的に起こった

イスタンブル県知事のヒュセイン・アヴニ・ムトゥル氏は、襲撃が突発的に展開したとし、「イベントに参加したグループは会場が狭かったので、当然のように道にあふれた。そして歩道が混雑し、通路がふさがれた。このことによって、通行人の間で議論が始まったのです。その時、7人が逮捕されましたが、彼らは皆直接事件に関わったのではない。30人規模の事件ではないのです。何人かの者によって行われたのです。」

■トプハーネで辛い変革

トプハーネに住んでいる人々に「ここでこのような事は以前起きていなかった」と言わしめた催涙ガス、こん棒による攻撃の根底にはここのところの変革がある。新住民流入による影響がないボアズケセン通りの住民と、古い大通りであるトプハーネ側の店は恐るべき変革を経験している。旧来の雑貨店、床屋が閉店し、その後はアートギャラリーや電化製品、家具を販売する近代的な大型店舗がオープンしている。不動産の価格と家賃は200%も値が上昇している。中小業者の急速な変わりようは痛みを伴っているのである。通りの人々はこの変化を「トプハーネは外国人化した」とまとめている。こうした新旧住民の入り交じった現状を、国民投票での投票も示している。

■お酒は売られていません。

ボアズケセン通りは3つの地区にまたがっている、トプハーネからタクスィムへ出る際の道の右側のフィルザア地区からは「反対」という結果が出た。右側にあるハジュ・ミミ地区からは60%が「賛成」、上部のトムトム地区からは圧倒的多数で「賛成」となった。ハジュ・ミミ地区で、ガラスを割られた店に100m離れた通りで、壁に書かれた「ハマス歓迎、抵抗を続けろ」という落書きがあったことが注目を集めている。通りに面する2つのマーケットでもお酒は売られていない。理由は「お酒を飲みも、売りもしません。」

■地元の住民から抗議の声

ボアズケセンの古くからの住民のセラ八ティン・カナット氏(52歳)は「昔はここらでアヘンを吸うやつは店の中で吸っていたもんだ。だが今はどうだ、お酒はもう外で飲まれるようになってしまった」と、抗議の意を示している。彼も地区のほかの中小業者と同様、いざこざを誰が始めたのかを知らないが、「私もあそこにいれれば…」と述べていた。事件について口にした人物たちの中には「ここ1,2年間、ここでは芸術展示場、ホステル、アパート式ホテルなどが続々と開店している。こうしたものは我々の考え方、倫理、文化に合っていない」と表明するものもいた。地元の住民の大多数は事態が展示場に訪れた人々が忠告を無視して外で飲酒したために起こったと主張している。

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( 翻訳者:智原幸穂 )
( 記事ID:20222 )