イスタンブル検察、1988年のオザル大統領暗殺未遂事件を再捜査へ
2010年09月22日付 Milliyet 紙
イスタンブル共和国検事ハカン・カラアリは、故人であるトゥルグト・オザル元大統領に対し1988年6月18日に行われた暗殺未遂に関連し、昨日(21日)ある新聞にて掲載された「オザル暗殺の背後に国家安全保障委員会の元事務局長」と題された記事の情報を受け捜査を開始した。
捜査の中でトゥルグト・オザル元大統領の主張を口にする息子のアフメト・オザルに供述を求める予定と明らかになった。
アナトリア通信の通信員が得た情報によると、昨日ある新聞に掲載されたルポルタージュにおける「トゥルグト・オザルに行われた暗殺未遂の背後に国家安全保障委員会の元事務局長がいた」というアフメト・オザルによる主張に基づき、特別共和国検事ハカン・カラアリにより捜査が開始された。
カラアリ検事によるこの捜査の中でトゥルグト・オザル元大統領の息子アフメト・オザルの主張に関する供述を得、この方向性の下供述を得るために、彼が言及した国家安全保障委員会のサブリ・イルミベシュオール元事務局長からも供述を求める予定であると明かされた。
■ アフメト・オザルが、新聞に発表
アフメト・オザルは、ある新聞に投稿したルポルタージュにおいて、父に対し1988年6月18日に行われ未遂に終わった暗殺の背後にいる人物は非常に短期間のうちに確認され、これらの人物は自身にも知らされたと述べた。
オザル氏はルポルタージュにおいて、「国家の混乱を避けるため父はこの名を明かさなかった。この中の一人は国家安全保障委員会のサブリ・イルミベシュオール元事務局長だった。これらの人物は皆、警察、国家諜報機構の文書に名を連ねている。文書を公開してほしい」という表現を用いた。
オザル元大統領は首相時代、1988年6月18日アンカラ・アタテュルク・スポーツサロンで開催された母国党大会において演壇で演説を行っていた際、襲撃を受けた。2発の銃弾のうち1発はオザルの右手に、もう1発はマイク台に命中した。
攻撃を行ったカルタル・デミラーは、攻撃が滞るとオザルのSPにより殴打され取り押さえられた。4年間刑務所で服役した後1992年に釈放された。
この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る
( 翻訳者:岩根匡宏 )
( 記事ID:20225 )