故ビトリス軍警察長官の搭乗機は爆破された
2010年10月03日付 Yeni Safak 紙
エシュレフ・ビトリス軍警察総司令官が命を失った飛行機事故(1993年)の事故調査の専門家であるアフメト・ヌーリ・ユクセル教授は、「非常に分かりやすい破壊工作であった」と発言した。同教授は、40秒から50秒程で爆発した飛行機のエンジンが、爆弾装置とともに機体から抜け落ちたと主張した。
クルド問題解決のために今日踏み出されたような歩みを擁護したことで知られる、エシュレフ・ビトリス前軍警察総司令官の飛行機事故に関する捜査で、裁判所から事故調査専門家として任命されたアフメト・ヌーリ・ユクセル教授は、「報告書には破壊工作と書いた。しかし調査はされなかった」という(事故当時の)判断を、数年が経過してさらに一歩前進させた。事故について「非常に分かりやすい破壊工作であった」と述べるユクセル教授は、40秒から50秒程の僅かな時間で爆発した飛行機のエンジンが、爆弾装置とともに機体から抜け落ちたと主張した。同教授は以下のように述べた。「二つのエンジンでは、内部破壊に伴って同時に不具合がおきている。私が至った結論は、内部で爆発が起きたということだ。エンジンの前部と後部にはC-4爆弾を仕掛けることが可能である。この爆弾は遠隔操作によって爆発させることもでき、また一定の気温に達した時点で自動的に爆発するように仕掛けることもできる」
エンジンのカバーにはまったく問題はなかったと話すユクセル教授は、さらに以下のように述べた。「(エンジンの)カバーには僅かに小さなへこみがあっただけであった。つまりエンジンの前部は軽い衝撃を受けただけで、内部温度がある一定の温度に達した時点でスチール製の回転翼が破壊されたのだ。カバーには問題がなかった一方でこのように回転翼が破損していたということは、ひとえに爆弾による破壊工作であった可能性を示している」
ユクセル教授の発言は以下の通りである。
■回転翼は空中で分解した
「内部で爆発してエンジンは故障した。これ以外の解釈はできず、かつ他の証拠もない。飛行中に二つのエンジンが故障する可能性はある。しかし双発機であるこの飛行機で、両方のエンジンが同時に停止することはない。7分間ですべての事が起きている。タービンの回転翼は、飛んでいる間に落ちたのだ、地上にはない。このことは爆発の可能性を示唆している。この回転翼が、どこかの畑の耕運機に引っかかるかもしれない。50キロから100キロ四方の場所のどこかでみつかる可能性がある。」
■「凍結が起きれば音は聞こえない」
音声記録から得られた情報には、エンジンの凍結に関する記録はなかったと説明するアフメト・ヌーリ・ユクセル教授は以下のように発言した。「もしエンジンの凍結が起きていたならば、エンジンの開口部で起きたはずであり、起きたとしてもその問題は解決されるものだ。音声記録の中の会話では、始めに『故障だ。(機体が)揺れている』と話されている。その50秒後に『別のエンジンに問題がある。エンジンが二つとも揺れている』と話している。この短時間で(エンジンの)凍結との関係性はありえない」。また、音声記録に残された僅かなデータについても説明した同教授は、飛行機のエンジンは凍結すると音が聞こえなくなるので、凍結に関わるような故障でもなかったことを強調した。ユクセル教授はエシレフ・ビトリス軍警察総司令官の死に関しても、「オザルが何かのために殺害されたとするなら、ビトリスもそのために殺害されたと言えるだろう」と述べた。
■「航空機製造メーカーの専門家たちは破壊工作と言えなかった」
事故から1週間後に、航空機メーカーから派遣され事故現場を訪れた専門家たちが、事故現場で行った調査の後に提出した報告書には、「凍結はなかった」とされ、署名がなされていたと話すユクセル教授は、以下のように述べた。「われわれは4つの問題について答えを探した。事故がこれらを原因として発生していないことを明らかにすることはできない。しかしその逆の証拠はある。つまり事故の原因は確実にこれであるとは言えない。しかしながら破壊工作の可能性を無視してはいけない」。また同教授は、高度な技術的な問題をアメリカ人の専門家たちは知りつつも公表していないと発言した。ユクセル教授は以下のように話した。「製造関係者らは正確な報告をしなければならない、同じ不具合が起きないように。アメリカからやって来た専門家たちは破壊工作であることを知りつつも、故意にそのことを発表しないのだ。自分たちの組織にだけ話すだろう」
■ヒュセイン・オウズ氏も「C4」と発言した
当時の諜報下士官であったヒュセイン・オウズ氏も、トルコ大国民議会(TBMM)ススルルック委員会に対して行った供述にて、当時のエシレフ・ビトリス軍警察長官が暗殺の犠牲になったと発言した。同氏は以下のように主張した。「C-4爆弾によって殺害されたのだ。C-4爆弾はパイロットの服に仕込まれて、飛行機に持ち込まれた。ブルサ出身の歩哨がこれを目撃した」
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( 翻訳者:指宿美穂 )
( 記事ID:20304 )