マーリキー首相とフセイン、両者の違いを見極めよ
2010年10月01日付 al-Sabah al-Jadid 紙

■フセイン大統領と同類とされるマーリキー首相

2010年10月01日付『サバーフ・ジャディード』紙HPコラム面

【ムハンマド・アル=ワーディー】

 新聞やインターネット上に掲載されるコラムや記事の多くは、ヌーリー・アル=マーリキー首相をサッダーム・フセイン元大統領になぞらえ始めた。フセイン元大統領が独善や独裁、追放の象徴的な人物であることを踏まえ、こうした描写が総選挙を前にマーリキー首相に対して向けられ始めた。しかしその描き方は、選挙結果が公表されながらも今日に至るまで有権者不在で不透明な次期政権の組閣がマラソンのように遅々として進まなかったことで、ますます過激になったのは明らかである。マーリキー元首相をこのように描き、この例えを積極的に広めている者は、同元首相がイラク政府首相の座に居残ることによって損をする者達であることは疑いない。しかし、実際には、同首相には多くの短所がみられる一方、同じく数多くの長所もみられる。公平で均衡の採れた見方を提示するのであれば、マーリキー首相をこのように描くことはいかなる場合においても決して偏りのない公平な行為ではあり得ない。むしろ、ある種の「政治的な蹴落とし」とも呼べる行為である。この「[フセインの]イメージにたとえる者達」が、彼らのライバルに対して、あるいは国民的、政治的、あるいは個人的な立場から対峙せんと割り込んできた者に対して、「他人のイメージを利用したやり方をとっている」と非難を向けて、貶めようとすることが、最近の妙な流行である。こうした現象に目を向けたとしても、実際にはこうした輩こそ「イメージを利用している者達」と非難されるかもしれない。こうしたお手軽な方法は、今日のイラクにおいて政治的なライバルの間で広く利用されるようになった。しかし、このようになぞらえられた政治家達がライバルを蹴落とすために同じように他人のイメージになぞらえる方法を使っていることは、笑ってしまうほど逆説的なことである。

 マーリキー首相とフセイン元大統領の間には、類似する要素もなければ、必然的な関連性も全くない。これには幾つかの理由があるが、イラクの現状はこのような独裁のスタイルを受け入れることはできない、という点が最も重要であるかもしれない。またマーリキー首相の人格を傍でよく知っている者であるならば、彼が独裁に走る人物ではなく、偶像を求める人物ではないことはよく分かっている。しかし同時に、同首相は強い性格を持った人物でもある。彼は、今日にイラクにおいてこの重要な地位に対し、憲法上の保証と、彼個人の立場を確立する上での正統性を付与したいと望んでいる。というのも、今日のイラクは政治的、宗派的、民族的、そして社会的な意味で矛盾と分裂に晒された振り出しの状態にあり、決してそれが終焉する状況にはないからである。思うにこうした問題を巡りマーリキー首相を特徴付ける最も重要な点とは、彼に対して政治的に向けられている非難とは全く正反対のものである。なぜなら、同首相はいろんな意味で、またその立場において、他の人々が強く望む通りの謙虚さを兼ね備えているからである。なお、一部にはこうした同首相の立場についてさまざまな説明を行う人達もいる。

 フセイン元大統領は、米国の汽車[※米国の支援]に乗って登場し、米国の戦車によって倒れた。しかし、マーリキー首相はこのような「汽車」に乗って登場したわけではなかった。というのも彼はそもそも、この変化のためにかつて犠牲を捧げた家族の申し子であるからだ。また同首相は、サッダーム元大統領と闘う上で歴史的役割を果たした政党を担った人物でもある。しかし彼は、2003年4月以降、イラクの現実に向き合い、イラクにおける彼の計画に資さない勢力の分子や関係性の中で、幾つかの状況を巡り方向転換を求めた。言うなれば、同首相は、この現実を定める米国という最強のプレイヤーと手を組むことで船の操縦桿を握ろうとしたのである。それ故、同首相は、イラクと米国の現実を読み解くことを通して、またイラクの利に資するように米国側を説得し協力することを通して、自分の裁量の幅を最大限に広げるよう舵をとり、逆に他の人々の裁量幅を狭めながら、この方向に向かって歩みを進めたのである。

(本記事はAsahi中東マガジンでも紹介されています。)

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( 翻訳者:神田春奈 )
( 記事ID:20324 )