イスタンブル男子高校の地下から、ビザンツ時代の教会と思われる建造物と2つの通路が見つかった。しかし貴重な歴史的遺産を修復したいという提案は、イスタンブル2010欧州文化首都実行委員会によってうやむやにされたままだ。
オスマン朝時代の1897年にフランス人建築家アレクサンドル・ヴァローリーによって建てられたイスタンブル高校(イスタンブル男子高校)の歴史ある校舎は、その華麗な外観で見る人を魅了するだけでなく、地下にも歴史を秘めていた。その貴重な歴史的遺産をハベルチュルクが明らかにした。ハベルチュルクが放映したニュース番組によると、ビザンツ時代のものと思われる教会のような建築物が地下から発見され、学校側は修復を提案し計画の準備をしている。しかしイスタンブル2010欧州文化首都実行委員会から1年たっても回答をもらえていないという。
■ヂャアルオールからサライブルヌへ
教会とは別に、通路がサライブルヌまで伸びている地下都市の出入り口は、安全のためコンクリート塀で閉鎖されている。かつて卒業生たちが、「学校の地下を通って行って、地下宮殿から外に出られた」と話していた建築物と通路は、1年前に学校によって完全にその言葉が正しいことが立証された。扉を開けるたびに新しい通路が現れ、柱のてっぺんと思しき場所は、用務員らによりきれいに掃除された。
■トンネルはコンクリート塀で覆われ
地下3階に位置するこの建築物を保護しようと、学校側は照明の設置や掃除を行った。泥棒などの対策として教会の出入り口はコンクリートの壁で覆い、サライブルヌで合流するこれらの通路を管理していた。これらの地下トンネルや教会の修復のために、イスタンブル2010欧州文化首都実行委員会に申請を出したが、1年経っても回答が来ていない。地下からは有名なイギリス貴族のハーデン家が1816年に設立したハーデン&サンズ社の蒸気エンジンが発見されている。学校側は同社と連絡をとり、200年前の蒸気エンジン修復のためスポンサーになってもらえないか打診する方向だ。
■1940年からの噂
イスタンブル高校で30年副校長を務めるアタカン・アラン氏は、1940年の卒業生たちが地下の教会について話していたと言い、「学校はこの教会の上に新しい柱を立てて建てられた。この建築物には地下3階部分で辿り着いた。修復のために1年前からイスタンブル2010欧州文化首都実行委員会の回答を待っている」と話した。
二つの通路はサライブルヌで一つになる。地下の通路のために何もできていないと話すアラン副校長は以下のように語った。
「現在高校として使われている建物は、オスマン朝時代に『債務管理局』として建てられたものだった。イスタンブル工科大学に進んだ卒業生たちの話だと、このあたりからトンネルを通って、サライブルヌにむかっていってみたそうだ。しかし、一部で壁が崩れている所があることがわかり、安全を考えて引き返したらしい。地下宮殿とシルケジ郵便局に出る二つの通路は、その後サライブルヌで一つになっているようだ」
■「アヤイリニ(聖イレーヌ)教会のように利用できる」
イスタンブル高校に最近赴任したサキン・オネル校長は、ハベルチュルクの記者と共に始めて地下通路に降り、以下のように話した。
「都市伝説が本当であったことがわかり、驚きだ。これらが日の目を見ることができるよう期待している。この教会の建物は、『債務管理局』で働くキリスト教徒職員の礼拝所だったことがわかった。ここは、音響効果があるのでアヤ・イレーネのように、コンサートなどに使えるだろう。観光にも利用できる特別な場所だ。
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( 翻訳者:湯澤芙美 )
( 記事ID:20329 )