和平交渉に失望したパレスチナ人の間で交渉以外の選択肢を検討する動きが浮上
2010年11月02日付 al-Hayat 紙
■和平交渉に疲弊したパレスチナ人、交渉に取って代わるより有効な手段を模索
2010年11月02日付『アル=ハヤート』紙(イギリス)アラブ国際面(東アラブ)
【ラーマッラー:ムハンマド・ユーニス】
パレスチナ人たちはイスラエルとの交渉には全く希望が見えないというサインを出している。約20年に及ぶ交渉は、パレスチナ人を独立と自由の実現に近づけてはくれなかったからだ。交渉での戦術や要求を検討する代わりに、PLOやパレスチナ自治政府の高官たちは、交渉よりも有効な代替案を検討するための会合や会議、専門家を集めた諮問会議に本腰を入れている。
交渉団のメンバーであるナビール・シャアス氏は本紙に対し、交渉はパレスチナ人を国家へと近づけなかったばかりか自治政府の地位を後退させたとして、次のように語った。「これまでの諸合意はパレスチナ自治政府に住民に対する自治権をもたらしたが、領土に対する主権はもたらさなかった。だが今日ではその自治権さえ後退しつつあるのだから、主権などなおさら遠ざかるばかりだ」「自治政府に自治が認められたのはエリアAとエリアB(ヨルダン川西岸地区の40パーセントを構成)だったが、今ではイスラエルは法改正を行ってその自治すら無効にした。たとえば軍令1650号はガザ地区の住民に西岸地区での居住を禁じ、そうしようとする人々を処罰に値する不法侵入者だとみなしている」。
そしてナビール氏は挫折感と失望を発言ににじませた。「なんとも馬鹿げたことだ。なぜ我々はどこへも導いてくれないこのような政治プロセスを望むというのだ?」
イスラエル右派はこの10年間、オスロ合意の履行を停止し、パレスチナ自治区全域を再びイスラエルの管理下に置くことで、それを反故にしてきた。イスラエルはオスロ合意とその関連文書によって定められた、国境における自治政府の形式的な役割も無効にした。かつてはパレスチナ人旅客の対応は自治政府が担い、受け取った旅券をこちら側からは見通せない色つきガラスの向こうに座ったイスラエル人係官に渡すことになっていたのだ。またオスロ合意時代にはパレスチナの治安要員が街の出入口に立ち、イスラエルのパトロール部隊の侵入を防いでいたのだが、この措置は今にいたるまで再開されていない。またパレスチナ当局はイスラエル側と調整して、国外から職員や治安要員を連れてくることが出来ていたのだが、これも今は機能していない。
さらにシャアス氏は「パレスチナ領でイスラエルは恋愛さえ禁じている」と述べて、新郎・新婦や同族者の往来を禁じることで、西岸地区住民とガザ地区住民の結婚を実質的に妨げていると指摘した。
(中略)
パレスチナとエジプトの担当官らは[先週]今後の有効な代替案について協議し、今月11日にカイロで開催予定のアラブフォローアップ委員会に提出する。パレスチナ交渉団の一人であるムハンマド・シュタイエ氏は、「第一の選択肢は交渉だ。だが交渉は入植する時間を与えてしまう。アメリカ側がイスラエルに入植停止を呑ませることに失敗すれば、1967年6月4日[にイスラエルが占領した]領域内でのパレスチナ国家樹立をアメリカに承認させるよう要求するというのが次の選択肢になる」「それをアメリカが拒否した場合の第3の選択肢は、国連安保理に同じ要求を出し、アメリカには拒否権を行使しないよう求めるというものだ」「そしてもしアメリカが拒否権を行使したら、国連総会に舞台を移し、『平和のための結集』の名で知られる制度を使う。これは総会決議に安保理決議同様の強制力を持たせる制度だ」
またこの他にも、イスラエルがやっているように暫定合意の履行、特に治安調整を定めた合意の履行を停止するという選択肢もある。また以上の選択肢がすべて失敗した場合には、占領国としてパレスチナ領に対する責任を引き受けるようイスラエルに求めるというのが最後の選択肢になるとシュタイエ氏は語った。さらに公的機関の外に身を置くパレスチナの活動家たちは、「一国解決案」など、他の選択肢も検討している。
(後略)
(本記事は
Asahi中東マガジンでも紹介されています。)
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( 翻訳者:中島希 )
( 記事ID:20579 )