イラン医科大学の閉校が決まったとのニュースは、ファルヴァルディーン月13日のニュースであれば、「13日の嘘」としてなかなかのものだったと言えるかもしれない〔※「13日の嘘」はイラン版エイプリル・フールのこと。ファルヴァルディーン月13日は通常、西暦4月2日にあたる〕。しかし、保健省の公式サイトから、同大学の閉校と、テヘラン医科大学ならびにシャヒード・ベヘシュティー大学の二校との合併が公表されるとなると、もはや冗談や嘘ではないことは明らかだ。
1352年〔1973年〕に創立され、国内の大学ランキングで8位の医科大学であったこの大学は、昨日突然閉校が発表され、同大学を構成する各部局はすべて他の大学に編入されることとなった。保健相の指示により、テヘラン医科大学とシャヒード・ベヘシュティー大学にイラン医科大学の各部局は編入され、テヘラン以外にある同大学〔の施設〕については、今後キャラジ医科学部が管理することになったのだ。
伝えられた情報によると、同大学の閉鎖についての保健相の指示は、首都をコンパクト化し、行政組織をテヘラン州から移転させる政策・決定の一環として採られたものだという。その結果、イラン医科大学の衛生・診療関連の部局はシャヒード・ベヘシュティー大学に、また同大学の教育・研究・学生関連の部局についてはテヘラン医科大学に移ることとなった。
イラン医科大学には、医学部、基礎科学部、リハビリ学部、看護・産科学部、衛生学部、医療経営・広報学部、医療補助学部の7つの学部と、10の教育用病院があった。
今回の決定をどのように実行するか、その手順については未定で、編入についての全体的な政策が実行に移されてから、〔細部の〕実施要領が編まれる予定となっている。しかし、イラン医科大学のウェブサイトは昨日、〔今回の決定が公表された〕直後にインターネット上から姿を消し、テヘラン医科大学〔のサイト〕に取って替わられている〔など、今回の決定の実施はすでに着々と進んでいるようだ〕。
[中略]
この件について、〔保健省関係者の〕ハサン・アーガージャーニー氏はメフル通信に、次のように述べている。「今回の報道は、イラン医科大学の学生にとって非常に喜ばしいものだろう。というのも〔‥‥〕テヘラン医科大学に入学するための点数は、〔イラン医科大学に入るよりも〕かなり高いからだ。〔現在イラン医科大学に在籍している〕これらの学生たちは、イラン医科大学に入学して、テヘラン医科大学を卒業することになるわけだ」。
その一方で、イラン医科大学に入学した一部の学生たちは、これとは異なる考えをもっているようだ。
89年〔西暦2010年〕入学のある学生は、このことについてジャーメ・ジャム紙に「テヘラン医科大学では、いまだ古い教育制度に基づいて、講義題目が教えられているが、イラン医科大学では改良された医学教育制度が実施中だった。そのため、もし正式にテヘラン医科大学への編入が行われた場合、私たちが現在履修している学期の単位が認められないことになるのではないか」と不安を口にしている。
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( 翻訳者:八十嶋彩子 )
( 記事ID:20691 )