シィヴァス事件の舞台マドゥマクホテル国有化裁判、結審
2010年11月23日付 Yeni Safak 紙

スィヴァス事件(訳者注)が起きたマドゥマク・ホテルの国有化が争点となっている裁判が結審した。

1993年7月2日、37人の死者を出したマドゥマク事件の舞台であるマドゥマク・ホテルの国営化において双方が金額面で合意に至らなかったことを受け、第2第一審裁判所にて開かれた裁判が結審した。

ホテル所有者らの弁護士であるオクタイ・オズベルク氏、ナズィフ・アジャルル氏及び県特別行政局のマクブーレ・ウナルバシュ弁護士が同裁判に参加した。以前より不動産鑑定評価報告書にて発表されていた560万1千トルコリラでマドゥマク・ホテルを国有化するとの判決が下される一方、双方に上告する権利が発生した。ホテル所有者らの弁護士であるナズィフ・アジャルル氏とオクタイ・オズベルク氏は、以前より不動産鑑定評価報告書にて発表されていた金額のとおりに裁判所が判決を下したことを伝え、双方に上告する権利があると述べた。オクタイ・オズベルク弁護士は上告するつもりであると語った。

1993年7月2日に27人の死者を出したマドゥマク・ホテル国有化に関しては既に決定が為され、国から県特別行政局の口座に接収金額として550万トルコリラが振り込まれていた。ホテル所有者らは、提示されていた接収価格を不十分と見なした。双方が金額面で合意しなかったため、第2第一審裁判所にて裁判が行われ、同裁判の10月12日の初公判では結審しなかった。

(訳者注)スィヴァス事件(マドゥマク事件):1993年7月2日にトルコ各地に支部を有するアレヴィー・ベクタシー系組織であるピール・スルタン・アブダル文化協会の主催の下、スィヴァスのマドゥマク・ホテルで開催された文化式典中に、同ホテルが焼き討ちに遭い、文化人33人とホテル従業員2人が焼死した事件。事件以来、同ホテルはアレヴィー派差別の象徴となり、彼らの間に深い遺恨を残している。アレヴィー派の人々はこの惨劇を風化させまいと同ホテルの国営化を訴えている。

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( 翻訳者:藤井庸平 )
( 記事ID:20765 )