HAS党、最初の党大会
2010年11月28日付 Radikal 紙

ヌマン・クルトゥルムシュ党首「われわれは右派でも左派でも保守派でもない。政治的扇動を拒否します」

人民の声(HAS)党のヌマン・クルトゥルムシュ党首は、最初の党大会にて行った演説にて、「人民の声党」を結党した理由やその目的を語り、HAS党の定義も行った。同党首は野党の党首たちを厳しい言葉で批判し、以下のように述べた。「われわれは右派や左派、保守派といった政党にはなりません。われわれは市民の政党になります。われわれは政治的扇動に反対します。」

政治の中心となるために歩み始めたHAS党の第1回党大会は、アンカラのアタテュルクスポーツセンターにて始まった。開会の挨拶を行ったクルトゥルムシュ党首は、まず感謝の言葉から話しを始めた。同党首はトルコにて初の試みを実現させたことや、28日間という短期間でHAS党を組織し、党大会を開く状況を作り上げたと述べた。トルコにおいてこのような短期間の結党は初めての出来事であるとし、スポーツセンターに集まった人々へ「同じ道を行く者たちよ、同じ志を抱く者たちよ」と呼びかけた。

人民の声党がなぜ必要とされたのかについて語るクルトゥルムシュ党首は、まずトルコの社会が新たな政治を必要としていると強調し、政治的闘争や秘密裏の取引、敵対者の排除といったもので構成される政治的手法を一掃することが目的であると述べた。同党首は以下のように続けた。

「先送りされた自由と民主主義への要求は、人民の声党の必要性を高めました。政治はどんな問題を議論していようが、それらを錆びつかせ投げ捨てています。クルド問題、スカーフ問題…。要求を先延ばしにすると、市民を苦しめることになります。誰もが平等な国民となることを望んでいます、そうでしょう?先の要求は、先延ばしてはなりません。8年間与党の座にいる者たちや、彼らを水掛け論を用いて支持する野党は、この問題を解決することができません。だから、人民の声党は必要とされたのです。そう、これがHAS党への要請なのです。」

■ 実のあることを話す

クルトゥルムシュ党首は人民の声党が(結党前に)すでに(事実上)結党されていた政党であり、このことを公にしただけだとし、「(政治の)根本を変えている」と話した。彼らの政治的手法が、既存の他政党の手法とは大きく異なるとし、以下のように述べた。

「われわれの手法は、(国民の声を)集め、取り纏めるものです。集約した形で語り、実のあることを話すだろう。しかし決して、そう決して実行しないことは口に出さず、公約を国民の前に提示します。」今日まで既存の政治には二つの手法が用いられていたとし、特に厳しい批判を共和人民党(CHP)へ向けた。クルトゥルムシュ党首は、以下のように続けた。

「ひとつは、CHPが統一と進歩委員会の遺産を受け継いで形成した社会を秩序付ようと考える政治手法です。この手法は、トップダウン方式で、ここ150年間もこの地で祖国を支配することを考えているグループ(が用いる手法)です。もう一方は、国民から票を獲得し、アンカラで国内の、そして国際的な支配者たちの前に服従する者たち(の手法)です。この種の政治を行う人々からは『政治とは(支配者に)いかに従順に仕えるかを競うもの』とお感じになるでしょう。(本来)政治とは国民の声を代弁する仕事です。政治とは(国民から)委ねられたものであり、代行するものなのです。単に、そうただ単に市民の代表にすぎない。何年間もアンカラではハジヴァトの影絵芝居(のような背後に操る者がいる政治)が繰り広げられてきました。人々の声はアンカラ政府に届く前に壁にぶつかり跳ね返ってきたのです。」

■ エルバカンに向けた言葉

クルトゥルムシュ党首は名前を挙げずに至福党のネジメッティン・エルバカン党首に向けて「HAS党は私のものでも、結党に関わった中心メンバーのいかなる人物の政党でもありません」という言葉で批判し、以下のように述べた。

「HAS党は特定の少数派や少数のエリートの政党ではありません。全世界の被抑圧者たちや被搾取者たちの政党なのです。」

同党首は、政党はいかなる人間の私物とはならないことを強調し、以下のように述べた。「われわれを集結させたものは(語るべき)言葉を共有していることである。他の政治的伝統からわれわれのもとへやってきた友もいます。しかしここは(雑多なものが陳列される)スーパーマーケットではありません。党員の誰もが国民共通の民族音楽を歌っており、国民共通の要求を発言しています。」

■ 政治的扇動に対抗する

ヌマン・クルトゥルムシュ党首はHAS党について語る際、政治的扇動に反対すると述べ、HAS党を以下のような言葉で表現した。

「幼いときから政治的扇動というものを耳にしてきました。私が幼いときには左派のムスリムたちと右派のキリスト教徒たちがレバノンで戦争をしていました。右派・左派、革新派・反動派、そして伝統保守派・愛国主義者といった認識が、国民を分裂させ、安易な政治を行うために利用されてきたのです。トルコのいかなる問題を取り上げたとしても、恐怖を抱いて話すことになるでしょう。(皆さんの中には)『CHPはさせてくれない』と言う人もあるでしょう。CHPも『このAKPがいる限り、われわれのライフスタイルは脅威にさらされている』と言うでしょう。それではだめなのです、あなたたちが扇動したいと考える方向から揺さぶったとしても、この国民は扇動の言葉を再び鵜呑みにはしません。われわれは右派でも左派でも保守派でもない政党になります。われわれは市民の政党となります。われわれは政治的扇動に反対します。」

■ ピール・スルタンの言葉

クルトゥルムシュ党首は与党と野党を批判する際、(16世紀のアナトリアの詩人)ピール・スルタン・アブダルの「戻りたければ戻ればいい、(しかし)私はこの道から戻りはしない」という言葉を使った。国民投票で得られた(賛成票)58パーセントと(反対票)42パーセントについて考えたと話す同党首は、以下のように述べた。

「一部の人々は42パーセント(の意味)を考えていないし、また一部の人々は58パーセント(がもつ意味)を理解してもいません。われわれは全体から物事を考えます。われわれは市民の声を実現しようと努める人間として、与えられた狭い範囲で政治を行うために順番を待つ(既存政党の)人間のような真似はしません。CHPや民族主義者行動党(MHP)のように『さてわれわれの順番はいつ来るのだろうか。支配者たちはわれわれにいつ政権を渡してくれるのか』と待ったりはしません。われわれは政治の脇役 (が回ってくるの)を待ったりなどしません。既存の政治芝居(の風味)を変えるために政治を行ったりもしません。」

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( 翻訳者:指宿美穂 )
( 記事ID:20804 )