ウィキリークスで公開された資料には、エルゲネコン問題について「エルドアン首相率いるイスラム寄りの政府に向けたクーデター計画のニュースは、2007年から今日にかけてトルコのメディアの格好のネタになっていた。トルコの最高ランクの将校はこうした報道は根拠がないと抗議するのに対し、人々の大部分はしだいに、少なくとも軍の一部は公正発展党(AKP)の転覆または弱体化を企んでいると信じ始めている」というものがある。
日曜夕方発信され始めたウィキリークスの資料には、トルコについて交わされた公電で、トルコ閣僚関連の情報収集活動がメモの形でアップされているものが目を引く。ウィキリークスのサイトには、以下の記載があった。
2004年1月20日、アンカラ大使館からワシントンへ:ギョヌル防衛大臣(当時)は、イスタンブルであるシンポジウムを行ったのち、我々にこう述べた。彼によると、ギュル外務大臣(当時。現大統領)は、2003年3月1日付の米軍派遣提案を議会が否決したことを、非公式会議で称賛し続けた。ギュル氏はアメリカとの関係が逆方向に向かう形で、一層アラブ/イスラム寄りの外交を支持した。これに対し、エルドアン首相、ギョヌル氏、チチェキ法務大臣は、政権を維持するためにはアメリカの支持を得ることが条件であり、訪米の成功を目指している。
2004年1月20日、アンカラ大使館よりワシントンへ:公正発展党(AKP)内の明確な宗教的勢力は、EUがキリスト教徒の会員クラブだと批判している。一部の者は、ヨーロッパが諸文明間の抗争を煽っており、こうしたことはトルコがメンバーに加わり、トルコの価値を広げることで妨げることが可能だと主張している。また一部は、EUへの適合政策と加盟がイスラムとトルコ人の伝統を薄めるのではと危惧している。実際、公正発展党の重鎮サドゥラー・エルギン氏がかつて我々に明かしたように、「ヨーロッパが(加盟に)『はい』と言えば、暫くすべてがバラ色になるだろう。しかし後に、公正発展党にとって物事が難しくなり始める。ヨーロッパが『いいえ』と言えば、最初は大変かもしれないが、ゆくゆくは(公正発展党にとって)いい結果になるだろう。」
2005年6月8日、アンカラ大使館からワシントンへ:イスタンブルの第二選挙区のニメト・カディン国会議員は、女性問題を担当する新しい国務大臣になった。1965年アンカラのアイランジュで生まれ、比較的経済的に恵まれた暮らしをし、夏はヘイベリアダの別荘で過ごし、育った。イスタンブル大学法学部を卒業した。弁護士になろうとしたが、結局イスラム事業家組織のミュシアドに所属した。公正発展党のメンバーであり、既婚、一子。公正発展党のシャバン・ディシュリ氏の6月7日の報告によると、閣僚になるために、キーパーソンと見られるエルドアン首相の妻エミネさんに選挙期間中に接近していた。
2010年2月10日、アンカラ大使館からワシントンへ:すべてこれらは、ギャングのように高圧的な警察や司法の態度により(社会で、軍を含め、勝ち馬に乗る傾向を反映して)さらに悪い状況になった。アメリカでは、(高位の軍人の取り調べにあたっては)検察官や警察監察官が軍人の許に赴いて、事前の取り調べをする。(その後)警察署に呼び出し、罪状を確認・確定し、逮捕にいたるのは、ひとえに公判を維持できるか否かにかかっている。トルコではそうではない。あることを知っていると疑いをかけられただけで警察に連行され、メディアの前でさらし者になってしまう。いつもこうだ。今は最高ランクの人々やその友人たちがそのように扱われている。
2005年6月8日、アンカラ大使館からワシントンへ:エルドアン首相が、ギュル外務大臣と関係の近いアタライ国務大臣とジェミル・チチェキ法務大臣を内閣から外そうとしている可能性がある。この二人は、首相ポストと大統領ポストを目指しており、エルドアン首相に対し真意を隠している。
2010年1月29日、アンカラ大使館からワシントンへ:エルドアン首相率いるイスラム寄りの政府に対するクーデター計画のニュースは、2007年から今日まで、トルコのメディアの格好のネタになっている。トルコの最高ランクの将校はこうした報道は根拠がないと抗議しているが、人々の大部分はしだいに、少なくとも軍の一部は公正発展党(AKP)の転覆または弱体化を企んでいると信じ始めている。クーデターに関する疑惑は、エルゲネコンの捜査を行う捜査陣にいいように利用され、起訴状は退役した高位の元軍人に対する策略をも含んでいた。こうした主張は、明確に軍に対する人々の信用が次第に低下していく事態を招いた。バルヨズ起訴状に関する最新情報は、軍人を一般法廷で裁くことに繋がる憲法改案の準備がすすむ時期に公開された。イスラム寄りのメディアが事態をあおり、参謀本部が様々な疑惑に対し十分な説明をしないうちに、世論は、今回の事件をますます信じ込むようになった。まさに軍(への疑惑)を信じ込んだのと同様に。こうした事態は、市民と軍との間の関係を自分たちに有利に利用しようと目論み、憲法改正に着手していた公正発展党の立場を強化することになった。とはいえ、公正発展党の支持率は去年一年間で相当な割合で低下している。
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( 翻訳者:木村納菜 )
( 記事ID:20810 )