PKK「死刑宣言」のクルド政治家ミルオール、「恐れることはない」
2010年12月04日付 Milliyet 紙
クルド人の政治家でコラムニストのオルハン・ミルオール氏は、「トルコがその民主主義を発展させる国になっている、ということを、一部の(クルド人)政治活動家らも理解せねばならないのです。クルド人はこの過程からたくさん学ぶことがあります。私達のような人物が脅迫を受けることはこうした民主化の進展を妨げることとなります」と言った。
クルド人の政治家であり記者でもありコラムニストでもあるオルハン・ミルオール氏は、クルド労働者党(PKK)の武装組織部門であるHPGのインターネットサイト上(の声明)で殺害の脅迫を受け、警察の護衛付きで暮らしている。同氏はクルド人問題のため長年刑務所で収監された経験があり、護衛付きの生活が自身を不快にし、家族の心配を生むが、慣れるよう努めていると語った。
ミルオール氏は最初に9月6日付のタラフ紙のコラムで自身を何者かが殺害予告して脅迫していると明らかにした。11月にもPKK関連といわれている『HPGオンライン』というウェブサイトで「ナイフを突きつけられて歩いている。発言がこのままであれば、(自身の身の上が)赤いペンで線を描かれることになる。ミルオール氏が死体となるのだ、この国の歴史の上で」といった表現で明らかに脅迫されていた。ミルオール氏はその経緯を本紙に説明した。
-HPGのが最初の脅迫ではありませんね。以前にも脅迫されていましたね。
「ええ。以前エルドアン首相がディヤルバクルに行った日の夜に脅迫されました。首相が犯人不明の犯罪に言及した際に私についても触れる必要性を感じ、『ミルオールの傷を忘れていない』と発言しました。その日電話で脅迫がありました。現在捜査が行われており、どの程度進んでいるかはわかりません。」
-これを受けて、ウェブサイトからの脅迫をどのように受け止められましたか。
「これは単なるインターネットサイトではなく、HPG、つまりPKKの武装組織のサイトです。そこに書かれていることでHPGが何を考えているかが分かります。どれだけ信憑性があるかわかりません、参謀本部のサイトのように認知する必要があります。そのサイトで掲載されたことはその組織を方向付けていますので。」
■恐れてなんかいない
-脅迫を恐れていますか。
「恐れていません。私の人生を顧みた時、恐れるようなことはもうありません。今後も私の考えを伝え続けます。こうしたことをさせはしないという意図がサイトの声明にはあり、我々を黙らせたいのです。つまりクルドの政治家と知識人が黙ることです。すべてをPKKが考え、決定を下すという環境がつくられるのは正しいとは思いません。このことでPKKにも得することはありませんし、あるのは損害だけです。」
―国民投票に賛成し、民間人が襲撃で死ぬことを批判していましたが、この考えがあなたをターゲットとしたのでしょうか。
「民主的自治、国民投票、民間人を襲撃対象としないという私の記事は、PKKの基本的な政治理念を大いに批判して書きました。おそらく初めて組織的で、全国的メディアである新聞紙上でクルド問題にも過去に関わった人物が書いた記事というのが影響したのでしょう。クルド社会は、もはや思考し、様々な考えを議論するのを認める社会となっています。10年前のようではないのです。(ことの軽重)を計り、暴力が終わることに価値があるかどうかという判断が進んでいるのです。このクルド問題、戦いについての個人的体験(に関する発言)やタラフ紙のような影響がある新聞で執筆したことが議論を生みました。支援者、協力者、裏切り者などと言われました。こうした表現はPKKメディアで記事を書いた人々がとても容易に用いる言葉です。」
―脅迫があった後、暮らしに変化はありましたか。
「全くありません。電話で脅迫された後、護衛が付きました。外出する時は同行します。それ以外周辺に護衛がいるのかどうかは分かりません。護衛が付くのは私にはしっくりきません、不快になります。私は市井の人であり、ふつうに通りを歩き、喫茶店に行ってチャイを飲み、本屋に行くのです。護衛が付いてふつうに歩けなくなりました。出来ることなら早いうちに元の生活に戻りたいです。」
■正しい道を歩んでいる
―21歳と19歳の2人のお子さんがいます。あなたに何かが起きるかと心配していますか。
「正直にいえば悲しんでいます。私たちにとって人生は波風なしではなく、いつも捜査が関わってきました。収監中…いつも不安の中で生活しましたし、このことに慣れようと今も努力しています。犯人不明の犯罪が横行した時期、ディヤルバクルを離れざるを得ませんでした、負傷した身のまま(アンカラの)ハジェテッペに連れて行かれ3カ月滞在したのは子供が3歳の時でした。」
―最近気付いた、不快にさせるような別な脅迫はありましたか。
「メールがきて驚きました。が、その中には私を喜ばせ、一人ではないと感じさせるようなメールがありました。私は生涯にわたって暴力と戦争に反対し、クルド人とトルコ人が共生できるというとても確信に満ちた記事を書いてきました。この立場は、クルド人にもトルコ人にも損害を与えません。トルコはもうかつてトルコではない、ということを、一部の(クルド人)政治活動家らも理解せねばならないのです。さらに前進し、一層民主的な国にトルコはなります。クルド人はこれからたくさん学ぶことがあります。私達のような人物が脅迫を受けることはこうした民主化の進展を妨げることとなります。しかし強い反応を受けて、このことは、私たちが正しい道を進んでいるのを示してくれています。」
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( 翻訳者:熊谷沙織 )
( 記事ID:20856 )